柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「教会の一致」使徒2章37-47節

エス・キリストが死の中からよみがえられ、50日目に教会が誕生しました。その日に3000人が弟子にくわえられ、日々神様は救われる人を加えられました。そこに教会の一致した姿を見ることができます。


1,バプテスマによる一致

今も教会で行われている、儀式(サクラメント)とも言われるべきものがあります。それは洗礼(バプテスマ)です。洗礼そのものには、救いの力はありませんが私たちは受ける必要があります。
その根拠は第一に、イエス・キリスト御自身が受けられたからです。バプテスマのヨハネが悔い改めのバプテスマを授けていたときに、イエス様は来られて授けてもらいたいと申し出られたのです。ヨハネは断りましたが、「正しいことを実行するのは…ふさわしい」(マタイ3:15)と言われて受けられたのです。ですから、イエス・キリストを信じて救われたいと願う者も洗礼を受けるべきです。
そして第二のことは、ペテロが救われるためにここで洗礼(バプテスマ)を受けることを奨めているのです(38節)。そして、バプテスマには2つの大切な意味があります。まずその一つは、悔い改めるということです。悔い改めるとは、自分の生き方を変えることです。すなわち、今まで自分中心に物事を考えていたことを180度方向転換し、神中心―救い主イエス・キリスト中心に考えることです。私たちは自分を喜ばせることを第一に考えますが、悔い改めることは、自分のために十字架で命を捨てて救って下さったイエス・キリストが喜んで下さることを考えることです。
ですから、悔い改めるとは、いつも心の中にキリストを見る、キリストを見て生きる生活をすることです。
そして、もしあやまちを犯していたなら、神様に対して悪いことをしていたならそれをお詫びして謝ることです。私たちはそれを、祈りによって行うことができます(?ヨハネ1:9)。そして、私たちは心の中に罪赦されたことの確信を持つことができるのです。ペテロはさらに、洗礼を受けるならさらに賜物として聖霊を受けると言いました。聖霊の豊かな恵みに預かるチャンスが与えられるのです。すべての遠くにいる人々すなわち、真の神を信じなかった人々にも与えられます(39)。キリストの名によって受けるバプテスマは教会の一致に欠かせません。


2,神による交わりの一致

この日に3000人の人たちが救われました。おそらくは神殿の前の広場にいただろうと思われます。当時はまだ教会堂はありませんでした。おそらく救われた人たちは、それぞれの所にあつまっただろうと思います(46)。42節を見ますとそこで彼らは3つの大切なことをしていました。一つは使徒たちの教えを守りとあります。それは簡単に言えば聖書の話です。キリストが私たちを救って下さるその話を聞き、確認していました。もう一つは「パンを割き」と言うことです。教会の聖餐式のことです。食事も共にしたでしょうが、最後の晩餐のキリストを覚え、また十字架に付けられたキリストの体と流された血潮を覚えて聖餐式を行ったのです。三つ目は祈りです。彼らは共に集まって祈りました。初めて来た人たちも、祈りを教えてもらい共に祈ったことでしょう。その彼らに、神の畏敬の念が生じ、奇跡が行われたのです(43)。


3,心の一致

彼らは、お互いちがった個性を持った人たちであっただろうと思います。ところが、イエス様を救い主と信じた人たちは、心が一つとなったのです。持ち物を共有し、必要としている人には分配する、彼らは愛の共同体となったのです。今も教会は同じであると思います。時代や文化・生活習慣は違っていてもその心は、今もクリスチャンは同じであると信じます。なぜなら同じ救い主イエス・キリストを信じているからです。彼らは共に神殿に行き神を礼拝し、そしてパンを割き喜びと真心で食事を共にしました。私たちもそのように行いたいと思います。
神を礼拝し、また簡単な食事を共にしてキリストの愛を分かち合う。それを神様は喜ばれ、必ず私たちの教会にも主は救われる魂をさらに加え、一つにして下さるでしょう(47)。 


              (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)