柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「宣教のまぼろし」使徒2章17-21

日本は今年、大震災と津波による大きな被害を経験しました。今なお、深刻な状況にあります。こうしたときに最も大事なのは私たちが救われると言うことです。その救いには将来があり希望があります。


1,終わりの時代の希望
終わりの日とは、まさに終末の時代のことです。私たちも色んなニュースを聞くたびに、この世の終わりが近づいていることを感じます。しかし、それは決して絶望的なものではありません。神様は私たちに試練と同時にそれを逃れる道、救いの道を備えて下さるのです。
17節を見ますと3つのことが出てきます。「預言」と「幻」、そして「夢」です。預言とは神が与えて下さる言葉です。もっとわかりやすく言うなら聖書の言葉です。聖書の言葉ほど世界中に知らせられている言葉は他にありません。地球にはおよそ6,900の言語があるそうです。そのうち聖書の言葉は2,500以上に訳されています。そのような本は他にはありません。そして、キリストの救いもアジアやアフリカ全世界に伝えられています。まさに神の預言を全世界の人が聞く時代にとなっているのです。
神のことばを聞くときに希望が持てます。2000年前のユダヤの国には希望がありませんでした。イエス様は「飼うもののないような彼らをご覧になって、深くあわれまれた」と聖書にあります。ローマに支配され自国の主権を奪われたイスラエルには希望はなかったのです。
ところが、それよりはるか以前にヨエルと言う人は預言をしていました。「終わりの日に聖霊が注がれ青年たちは幻を見る」と言うことです。事実、エルサレムペンテコステの日に多くの人たちがイエス・キリストを信じ救われ、また青年たちも幻を見たのです。それはまさに神の国の幻です。キリストを信じ人生が変えられ元気になり、もはや自分のためではなく、すべてを造られた神様のために生きる幻を持ったのです。やがてその信仰は12人から20億以上に、エルサレムから地の果てまで宣べ伝えられるものになりました。
青年たちだけではありません。老人たちにも夢が与えられました。それは、天国で生きると言うことです。それは、はかないこの世の夢ではなく、必ず実現するという希望のある夢です。そのことによって、老人たちにも生きる気力が湧いて来たのです。


2,聖霊の働き

その預言や、幻、夢はどのようにして与えられるでしょうか。それは「聖霊によって」です。人間の力や思いで神のことばや幻、夢を得ることはできません。
しかし、神様は希望のない私たちにすばらしいものを与えて下さいます。それは、助け主―聖霊です。聖霊は私たちの心の内に働かれる人格を持っておられる神そのものです。神様が私たちの心の内に臨んで下さり、慰めと希望を与えて下さるのです。青年にはビジョンを与え、老人には夢を見させて下さるのです。なんと幸いなことでしょうか。
ですから、今は聖霊を求めるときです。もし、私に幻がない、夢がないと言われる方は、神様にお祈りし、聖霊様が自分の心に豊かに働いて下さり、幻や夢を与えて下さるように祈り求めるときです。


3,主の救い

神様はどんな人にも聖霊を注ぐと約束されています。18節に「しもべ、はしため」とありますが、男の奴隷女の奴隷です。当時奴隷は人格も人権も認められていませんでした。ある意味人間以下だったのです。しかし、神様はすべての者に聖霊を注ぎ、彼らは預言すると言われたのです。
そして、それは過去の話ではなく、21世紀―終末の迫っている今の時代にも言われているのです。私たちはどこに希望を見いだせるでしょうか、どこに私たちの将来があるでしょうか。まさに、2000年前のイスラエルの人たちと同じであると思います。私たちは「神の国」に希望を見いだすことが出いるのです。
神様は、私たちの今までの過去のあやまち、たましいの苦しみや、心の痛みをいやされ赦して下さいます。イエス・キリストの十字架の血潮によって私たちをすっかり清くし、新しくして下さるのです。
もし、自分の心が罪で汚れている、自分は汚れて天国に入る資格がないと思われる方でも、イエス・キリストを信じるなら、そして、キリストの名を呼ぶなら救われるのです。今がその救いのチャンスです。
私たちはキリストによって救われ、ビジョンと夢が与えられてこの終わりの時代希望をもって生きるものにしていただきましょう。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)