柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神のあわれみ」ルカ13章6-9節

今はまさに実りの秋です。しかし、実はすぐになりません。時間がかかります。手もかかります。しかし、時間も手間もかかって何もなかったとしたら、がっかりします。 もちろん、天地を造られた創造主も実りを期待されています。それは、多くの人が救われることと救われた人がイエス・キリストに似たものとなることです。


1,多くの人が救われる

エス様がこのたとえを話される前に、ガリラヤ人の虐殺とシロアムで多くの人が死んだことが話されました。それは他人事ではなく、私たちもそのようになる可能性があることを言われたのです。そして、すべきことは3節5節に出てくる「悔い改め」と言うことです。悔い改めなければ、みな同じように滅びると言われたのです。
ぶどう園にいちじくの木が植えられていました。いちじくの実を採るためです。しかし三年もの間、実はなりませんでした。その主人は、実のならないいちじくの木を切り倒しなさいと番人に言ったのです。それは当然のことです。
たとえを話されたからには、意味があります。それは救いの実を結ぶと言うことです。私たちは、万物の創造主である神に従いませんでした。それどころか自分勝手に生きて、神を畏れることも敬うこともなかったのです。当然、滅ぼされるべきでした。私たちが救われたのは、この救いをほかの人にも与えるためです。「救われたのは救わんがため」とよく言われますが、私たちにとって永遠の滅びから救われて、豊かな命に預かったことほど素晴らしいものはありません。このことを自分だけでとどめておかず、イエス・キリストの救いを、苦しみの中にある人や絶望の淵におられる方に伝えなければならないのです。やがて滅びの日は来るのです(?ペテロ3:7)。しかし、神様は忍耐して人々が悔い改め救われることを願っておられるのです(?ペテロ3:9)。


2,聖霊の実を結ぶ

そして、私たちを守って下さっておられる方が一人おられます。たとえの中に出てくる番人です。彼は主人が「切り倒してしまいなさい」と言われたときに、「どうか、ことし一年そのままにしてやってください」と執りなしたのです。それはイエス・キリストです。イエス・キリストは今、天の父の右におられて私たちを執りなして下さる方です。私たちの祈りを聞かれます。なぜなら私たちが祈るとき、必ずイエス・キリストの名前によって祈るからです。イエス・キリストは私たちを支えて下さる方です。
木が実を結ぶためには手入れが必要です。「木の回りを掘って、肥やしをやってみますから」と言われていますが、私たちが豊かな実を結ぶためには何が必要でしょうか。それは、詩篇の1篇に出てきます。それは「主の教え」です。聖書です。それを口ずさむことです。そうするなら、実がなり枯れないと約束されています。
そして、その実とはなんでしょうか。聖霊による実です。愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制です(ガラテヤ5:22,23)。聖霊によって私たちの内に実が結ばれてキリストに似たものと成長するのです。私たちは努力する必要はありません。ヨハネ15:4,5で言われたように「キリストにとどまる」なら、つながっているなら多くの実を結ぶようになるのです。
私たちはキリストにしっかりとつながっているでしょうか、切れていないでしょうか。救いの実を聖霊の実を豊かに結んでいるでしょうか。そうでなければ私たちは自分の不信仰をお詫びし、悔い改め、キリストからいのちをいただいて、実を結ぶ者に成らせて頂きましょう。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)