柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの和解を伝える」2コリント5章20-21節

柏原にイエス・キリストの救いが伝えられて、今年82年となります。英国からドローシー・エレン・ホーアという宣教師が神様から遣わされて、このあたり一帯に福音が宣べ伝えられました。そして、この福音宣教は今日もまたこれからもなされる神の働きです。


1,神の和解

ホーア先生の墓標にはこの?コリント5:20の御言葉が刻まれています。まさに先生の生涯を表す言葉で在り、先生の命は「神の和解」から始まったと言っても過言でないと思います。 向後昇太郎先生の話によると、英国貴族のご出身でしたが家庭における人間関係はあまり恵まれたものではなかったようです。しかし17歳の時、明確な救いに預かられその心もまた生き方も変えられていかれたのです。
私たちもまた同じように、まず神との和解を受けなければなりません。なぜなら、私たちは滅んでいくからです。私たちは生きたままであるなら、神から怒りを受けるべきものです。神を神としてあがめず、従わず、自分勝手にいきむなしく歩いていたものです。そのままなら、永遠の滅びに陥ってしまいます。火と硫黄の燃えさかる池におちいってしまうのです(黙示21:8)。私たちは永遠の滅びから救われなければならないのです。 そのために、私たちは神の和解を受け入れなければなりません。和解とは仲直りすることです。交わりを持つことです。私たちは神との交わりがあるでしょうか。和解があるでしょうか。そして、心に平安と喜びがあるのでしょうか。
ないとしたら、私たちは神と和解し、心に平安が与えられ幸いを受けるものとなることです。
そのためには、まず罪の解決を与えていただかなければなりません。罪と言っても犯罪ではありません。的外れな生き方をしていたと言うことです。神を神として崇めもせず感謝もせず、むなしく生活をしていたと言うことです(ローマ1:21)。 
私たちはそのようなむなしい生活から救われて、感謝と喜びにあふれるものに変えて頂かなければならないのです。
そのために、イエス・キリストはこの世に来てくださったのです。私たちがむなしい生き方をしている中から救うために、永遠の滅びから救われるために来てくださったのです。
イエス・キリストを神と信じる人は少ないかもしれません。しかし、イエス・キリストが罪を犯したという人はほとんどいないと思います。事実、罪はただの一度も犯されませんでしたが、十字架にかけられたのです。それは、私たちの罪を身代わりに負うためでした。ホーア先生はそのことを明確に知られたのです。自分がいかに罪深く、そして永遠の滅びに向かって言っていたのかをはっきりと悟られました。また、私たちにもその機会が与えられます。罪の自覚が生じるときがあります。しかしそのとき私たちがすべきことは、懺悔ではなく、悔い改めです。自分の罪を認め、イエス・キリストが自分の罪の身代わりとなり死んでくださったことを信じ、受け入れるのです。そして、その罪を捨て去り、罪に背を向けて神に向かって進むことです。それが悔い改めです。それなしに、私たちは罪が赦されることも救われることもありません。また、私たちの罪を背負って死んでくださる方は、このイエス・キリスト以外にはおられないのです。天上天下この名による以外に救いはないのです(使徒4:12)。


2,キリストの使節
ホーア先生はイエス・キリストを信じ、その生き方は変えられました。自己中心の生き方から、神中心の生き方そして、神の愛に満たされた生活へと変えられたのです。その印として、柏原近辺にはいくつもの慰めの家が創られました。それは建物ではありません。キリストを中心とした交わりであり、キリストの体とも言うべき教会の一つの姿でした。おそらく当時としては珍しかったと思いますが、韓国の人たちの慰めの家も龍華町にあり、来られて2年目にはたくさんの韓国の人たちが救われたのです。先生にはその重荷があり、愛を実践されていたのです。そして何よりも、イエス様を愛されまた日本を愛されました。戦争の始まる直前に強制送還されましたが、戦後婦人宣教師の第一号として日本に帰られ、その後キリストの大使として、日本全国ですばらしい働きをされ、京都天授ヶ岡で召天されました。神様はまた、私たちにも願っておられます。神の和解を伝える大使となって、遣わされることです。
救われていない人たちが福音を聞き、悔い改め、神のもとに立ち返り尊い救いと祝福に預かられるように祈り伝道しましょう。

 (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)