柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「切なる願い―祈り」創世記32章22-30節

この世の豊かさを多くの人は求めています。ヤコブもまた、自分の豊かさを求める人でした。彼には兄がいました。しかし、長男の権利を得るために兄を欺きました。また、死にゆく父をだまし、跡継ぎが得る祝福を自分のものとしました。そのように、彼はずるがしこく自己中心的な人だったのですが、神様の取り扱いを受けた後、彼は変わりました。


1,一人残る

ヤコブは彼の生まれ故郷に帰ってきましたが、かつて自分が欺き、害を及ぼした兄に会うことは、彼にとっては大きな心の痛みであったと思います。私たちも、自分が迷惑をかけた被害者に会うとすればどんな思いか想像が付くかもしれません。
ですから、彼は一人になりました。ちょうどヨルダン川の渡瀬があり、自分の家族や持ち物大切なものを先に渡らせ、彼はただ一人になったのです。私たちもまた、これからどうしようかと言うときに、一人になりたいと思うときがあると思います。すべての騒がしさや、忙しさから離れて、静かに考えるときが必要です。しかもクリスチャンは、困難なとき一人ではありません。私たちには神が共におられるのです。
ヤコブが一人になったとき、何とそこにはもう一人の人がいました。神を信じるものには、神様が共におられるのです。バックストン先生は自分一人になりたいときは、“Get alone with God! ”「ただ、神と一人っきりになりなさい。」と勧められました。私たちも、そのようにしたいものです。


2,神との格闘

何と、ヤコブは神の人と、夜明けまで格闘しました。日本で言うなら、相撲を取るようなことです。ヤコブの熱心はただ事ではありませんでした。彼は必死に食らいつき、必死に求めたものがありました。それは、神からの祝福であったのです。彼は、妻も子どもも家畜も多くの財産を持っていました。何不自由のない生活をして、この世的には幸せであったのです。しかし、彼の心はむなしかったのです。なぜなら、兄をだまし、自分の家を出て行った、変えることのできない過去の汚点、癒されることのできない、過去の傷があったのです。それは、財産やこの世の名声によって、消すことのできない傷みであったのです。
ですから、彼は神様の祝福を求めました。魂に慰めを与え傷みを和らげ、心の傷を全く癒し強められる、神様の祝福を求めたのです。私たちはどうでしょうか。この世のもので満足できているのでしょうか。それとも、ヤコブと同じように、自分の心・魂を癒し、強める神の祝福を求めるでしょうか。


3,新しい名前

その人は名前を尋ねました。ヤコブは自分の名を名乗りました。まさしく、彼は名前の通り、「押しのけていく」ような自己中心の人であったのです。 ところが何と、その人はあなたの名は、イスラエルだ(28節)。と言われたのです。文字通りは、神に勝つという意味があります。もちろん、人間が神と争って勝つことはできません。例えば、小さい赤ちゃんと、相撲を取ってわざと負ける親がありますが、それと同じことです。神様は、肉の人ヤコブを愛され、彼と共に格闘され、勝利を与えて下さる方なのです。神様は苦しみの時に私たちと共におられ、また私たちを懇ろに取り扱って下さり、勝たして下さるお方なのです。
さらには、もう一つの意味があります。「神の皇太子」神の御国の相続者という意味があるのです。神様は、無一物で家を出て行ったヤコブを祝され、妻や子ども、多くの家畜を持つものとされました。しかし、何よりも大きな祝福は、ヤコブからイスラエルと変えられたことです。それは、名前だけのことではなく、彼の生き方そのものが変わりました。人を押しのけるものから、勝利者・神の世継ぎとなるのです。彼はもはや、この世のもの、名誉や権力、財産に執着しないものとなったのです。 私たちにも、その祝福が必要です。この世のものはいずれ、滅び去るときがきます。しかし、滅びることのない天国が私たちに約束されています。
私たちもまた、滅び行くこの世に巻き込まれて、あくせく働いたり、煩わしい人間関係に悩まされることなく、神の勝利者そして、神の皇太子として、やがて天国に迎え入れられることを信じ、弱い自分に打ち勝ち、世に勝利するものとさせていただきましょう。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)