柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「喜びの知らせ」ルカ2章8-17節

皆さんクリスマスおめでとうございます。クリスマスはキリスト教会から始まりました。


1,クリスマスの意味

クリスマスはどんな意味があるでしょうか。まず、キリストがお生まれになったということです。それは、すべてを創造された真の神様が、私たちをすべての悩み苦しみ、そして永遠の滅びから救って下さるという大切な意味があるのです。
旧約聖書預言者イザヤは2700年ほど前に、救い主が誕生することを預言しました。その名は、「平和の君」と称えられると言いました(イザヤ9:6)。ルカ2章14節には天の御使い、天の軍勢の大賛美がありますが、その内容は「神に栄光、地に平和」といった内容でした。
その当時、ローマ帝国ユダヤを支配していました。重い税金、ローマによる支配、道徳的な退廃、この世の教えの惑わし等、人々に真に平和を与えるものはありませんでした。「ローマの平和」と歌われていましたが、本当の平和はありませんでした。ストア派エピクテトスは「ローマ皇帝は地上や海において戦いに対する平和を与えられるかもしれない、しかし、心の中の欲望や嘆き、ねたみに対しての平和を与えることはできない。外側の平和でなく、人が求める魂の平和は与えることができないのである。」と言ったそうです。
14節の“平和”シャロームは人生の戦いにおける、つかの間の休み、以上の意味があります。それは、周りの環境よりもむしろ、私たちの本質に影響を与える平和です。真の救い主キリストは私たちの心を平安、癒し、繁栄そして完全にして下さるのです。それが、神からの平和です。


2,すべての人に伝えられる

その救い主、キリストがお生まれになるという知らせは誰に与えられたでしょうか。野原で野宿し羊の番をする羊飼いたちでした。彼らは雇われ羊飼いで、その日暮らしをしているような最下層の人たちでした。神様の良き知らせは、祭司や律法学者そのような立派な人たちに知らせられたのではなく、最下層の人たちに知らせられたのです。
なぜなら、「この民全体」すべての人に与えられる「喜びの知らせ」なのです。もし、上流階級に知らせられたらおそらくは世の中の底辺にいる人たちには伝わらなかったでしょう。しかし、神様の福音―よき知らせは、すべての人に伝えられる必要がありました。
ですから、神様はよき知らせを伝えるために、ガリラヤの田舎の漁師ヤコブヨハネ、ペテロを用いられました。彼らは「無学のただ人」と言われました。しかし、その救いは、奴隷からカイザル(ローマ皇帝)の家の人たちまで、すべての人に伝えられていったのです。


3,よき知らせを伝える

羊飼いたち、日雇い労働者は現実を見る人です。彼らは空想に生きる人たちではありません。日常の実際を感じて生きています。彼らには、妄想やごまかしは通用しないのです。しかし、彼らは、御使いの語ることに圧倒されました。そして、神の栄光を見ました。しかし、彼らのクリスマスはそれでは終わりませんでした。
彼らは話し合いました「本当にそうなのか見て来よう」と。おそらく彼らはベツレヘムから遠く離れたところで羊を飼っていたことでしょう。はるばる遠いところから来て、しかも、一軒一軒尋ね歩いてようやく見つけたのです。容易なことではなかったことでしょう。
しかし、彼らが御使いから見聞きしたこと全部がその通りだったのです。本当に彼らにとって、汚い馬小屋が、「いと高きところに、神に栄光があるように。地上には御心にかなう人々にへいわがあるように」というそのままの、神の栄光、神の臨在が満ちあふれていたのです。
羊飼いたちはどうしたでしょうか。すぐに、人々に「幼子について」すなわち救い主キリストについて人々に告げ知らせたのです。彼らは、自分たちに語られた御使いの役割を彼ら自身が演じたのです。それは、今日でも同じことです。
私たちのような心の貧しい者、家畜小屋のように汚い中に、平和の君がお生まれになる、私たちの心の中に来て下さり、神の栄光と魂の平和で心を満たして下さる。その救いの喜びを、探し当て、本当にその通りだと私たちもつげ知らせるのです。
それは、知った者だけができることでありまた、神の栄光、大いなる特権でもあるのです。


      (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)