柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「平和のクリスマス」エペソ2章14-18節

今年もアドベント(待降節)を迎える時期となりました。例年になく、国政選挙や東京都知事選挙が行われる慌ただしい年末です。何よりも私たちの心に平安を与えていただきたいと思います。

今日は、平和のクリスマスと題してエペソ書2章から見ていきたいと思います。

日本は今、平和ですが、そうでない国々もたくさんあります。最近では、パレスチナイスラエルの戦闘がテレビのニュースで報じられていました。一応停戦の合意を見ましたが、恒久的な平和ではありません。
いったい、争いの原因は何でしょうか。


1,隔ての壁

私たちは、それぞれに人格があり自分の意志を持っています。それは、またお互いに意志がぶつかり合うものともなります。
隔ての壁は、15節を見ますと、敵意と言う言葉で表されています。お互いに反目し合うことが、隔ての壁となってしまうのです。それはさかのぼると、アダムとエバにたどり着きます。彼らには、欲望がありました。神のように立派になりたいという思いです。彼らは、満ち足りていました。何の不足も、不自由もなかったのです。ところが、そこにサタンがやってきて、神様と約束した園の中央にある木の実を取って食べると、神様のように素晴らしくなれるとそそのかしたのです(創世記3:5)。そして彼らは約束を破り、取って食べたのです。
しかし、彼らは目が開かれたとき、自分の裸を隠し更には神様からも隠れるものとなったのです。
なぜ隔ての壁ができたのか。それは人間の欲望と、サタンの誘惑により、人が罪を犯し、善悪がわかるようにはなったけど、自分の力で解決できない、愚かなものとなってしまったからです。人間は、神ではありません。無から有を創り出すことはできないのです。私たちは自分の力で、問題を解決できないのです。しかし、壁ができて自分は隠れなければならない、そんな愚かで弱いものとなったのです。
敵意とはまた、戒めの律法(15節)です。人間は善悪を知る良心がありますが、それを自分の意志で成し遂げることはできません。ですから、多くの人は誘惑に負けて罪を犯し続けるのです。それがまた、自分の心の中に、隔ての壁、敵意となって、自己憐憫や自己嫌悪はたまた神を呪うといったことになってしまうのです。


2,隔ての壁を打ち壊すもの

かつて、ベルリンの壁が打ち壊され、東西ドイツが統一された時がありました。それと同じように、私たちにも様々な隔ての壁が打ち壊される時があります。他の人との隔ての壁、そして自分をも憎んでしまう壁が取り除かれることができるのです。
14節を見ますと、キリストが私たちの平和、そして隔ての壁を打ち壊すものであると言っています。
どのようにして、キリストは壁を取り除いたのでしょうか。15節に「ご自分の肉において」とあります。それは十字架のことを意味しています。イエス・キリストは、罪を一つも犯されませんでしたが、私たちの罪を身におわれ、呪いと裁きを十字架の上で一身に受けられたのです。すべては、十字架の上で完成されました。16節には、敵意は十字架によって葬り去られたとあります。ですから、十字架によって、敵意は私たちの心から、またお互いの間から取り去られることができるのです。
十字架を信じるなら、すべての敵意は取り去られるのです。私たちは祈らなければなりません。神様、私の心から、敵意を取り除いて下さい、お互いを隔てる隔ての壁をとりのぞいてください、と祈らなければならないのです。もし、私たちが祈るなら、神様は聞いて下さり、取り除いていくださるのです。


3,神との和解

十字架はまた、神との和解です。私たちは罪を犯し、栄光を受けられなくなっていました。神様は、私たちに祝福を雨のように降らせて下さるのです。しかし、私たちはそれを受けないで、むなしく惨めに過ごしているのです。
十字架は、神様との隔ての壁を取り除き、私たちに祝福を雨のように注いで下さるのです。そしてまた、敵対していたお互いも、一つになれます(17節)。イエス・キリストに合って、新しい一人の人に造り上げられるのです(15節)。そして、やがて、共に父の御もとに近づく日が来るのです(18節)。 
第一次世界大戦で、フランスとドイツが戦っているとき、クリスマスイブになりました。折しも冷たい雨が降りしきり、両軍の兵士たちは塹壕の中で震えていました。しかし、誰ともなく、クリスマスの賛美歌を口ずさみました。それはやがて、お互いの国の言葉で賛美する、大合唱となったのです。雨はやみ、兵士たちは塹壕から出て来て、肩を抱き合いクリスマスの挨拶を交わし、お互いの家族の写真を見せ合いました。
それは、まさに神様からのクリスマスプレゼントでした。神様は平和の神です。私たちに揺るぎのない平安を与えて下さいます。

 
         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)