使徒行伝 7章に、信仰の父アブラハムについて記されてあり、その2〜8節の中に神がアブラハムを召された出来事が述べられている。
1)アブラムの召し
2節に、「栄光の神が彼に現れて」とあります。なんと神ご自身がメソポタミヤにいた一人の青年に近づき現れられたのです。それは、青年アブラムに声をかけて、「あなたの土地と親族から離れて、あなたにさし示す地に行きなさい」と仰せられた出来事です。
使徒行伝7章は栄光で始まり、栄光で終わっています。
今日の聖日礼拝も、私達がこの栄光の主を礼拝する事です。
又、信仰とは世俗から離れて神の御声を聞き、臨在の前に出て、真心から神を礼拝する事からスタートします。
2)アブラハムの信仰
創世記 12:4では、「アブラムは主が言われたようにいで立った」とある、それは彼が神の言葉に従った従順な行為です。だからこそ主は彼を祝福の基とされたのです。その従順の結果として彼は安全にカナンに到着できた。その所で神は彼に現れられた(創世 12:7)。これ迄神は彼に「言われた」が、今回はその従順の結果として主の顕現にアブラムは接したのです。これは信仰の報償です。
その後、彼は主のために、祭壇を築き、又天幕を張ったのです。
祭壇と天幕とは彼の生涯の特徴です。これはシンボル的に、彼の奉仕と旅人の生涯を表しています。
今日の私達は、主イエスのご生涯を通して、罪と暗闇の世界から贖われた者ですが、神の祝福に与る為に礼拝を重んじ、アブラハムのように信仰に立つ者となりましょう。私達はキリストの十字架による救いの恵みに与り、礼拝の民とされています。
(講壇交換 歌垣教会 牧師 中川利行師)