柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストを心に持つ」1ヨハネ5章9-12節

このヨハネの手紙が書かれた1世紀にはすでにきリスト教の異端がありました。キリストを神でないと否定するものです。しかし、聖書は私たちに、キリストは神であり私たちの唯一の救い主であることを証ししています。


1,神のあかしを受け入れる

9節に人間のあかしと、神のあかしのことが記されています。私たちは人間のあかしを信じています。例えば、新聞の記事も人が調べて、事件や事故のことを書いています。私たちは、それを読みますけど、いちいち疑いながら読んでいるでしょうか。おそらく、事実として信じて読み、受け入れていると思います。 神は人間以上の方です。もし私たちが、人を信じるならそれ以上のお方を信じられないことは、ないと思います。
神のあかしも、同じようにただ信じて受け入れる、その通りに行う。そうすれば、その結果が出てくるのです。アラムの将軍ナアマンは、重い皮膚の病いを罹っていましたが、ヨルダン川で身を七度洗いなさいと言われ、最初は怒ってしませんでしたが、その後、言われたとおりにしたときに清くなったのです(2列王5章)。


2,キリストを心に持つ

神のあかしされることには、二つの意味があることが11節で解ります。一つは、永遠のいのちです。私たちは、この世に生まれて肉体のいのちを持っています。それ故、私たちはこの地上で生きることができます。しかも、ただ生きているのではありません。生命体としてのみ存在しているのではないのです。私たちは、不思議にも不安を感じたり、希望を持つことがあります。たとえは、クリスマスは子どもたちにとって楽しみです。それは、プレゼントをもらったり、ごちそうを食べたりできるからです。その日が待ち遠しいのです。しかし、他の動物にはそんな、思いはまったくありません。クリスマスが待ち遠しい猫や、正月を楽しみにしている犬がいるとか聞いたことはないのです。しかし、人間は将来に希望を持ちます。それと共に、逆に、不安になったり将来をはかなむと言うことがあります。自殺の主な原因は、将来に希望がもてない、喜びがないと言うところにあるのではないでしょうか。それは、人間だけが持つ苦しみです。
しかし、神様は人間の苦しみを見て、放ってはおかれませんでした。救いの手を述べられたのです。それを、現しているのが永遠のいのちという言葉です。神様は、私たちに「永遠のいのち」を与えて下さるのです。そのいのちは、生まれつきのものではありません。しかも、私たちが、何か良いことをして褒美として与えられるものではないのです。
むしろ、永遠のいのちは、誰にでも、どのような人にでも与えられるものです。ですから、それは報酬として与えられるのでもなければ、褒美でもありません。神様の賜物、プレゼントとして無代価で与えられるものです。
ただし、条件があります。その永遠のいのちは、御子のうちにあると言うことです。もし、私たちがその永遠のいのちを得たいと願うならばどうしたらよいのか。その、答えは12節にあります。すなわち、御子をもつと言うことです。
御子を持つとは、心の中にイエス・キリストをお迎えする、信じると言うことです。私たちが、永遠のいのちを持つ条件、すなわち、死んだ後天国に入れる条件とは、イエス・キリストを心に信じることなのです。
イエス・キリストを主と告白するなら私たちは救われ、永遠のいのちを持ち、天国で生きるものとなるのです。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)