柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「クリスチャンの喜び」ルカ15章28-32節

信仰と言えば、御利益信仰―信じたら、良いことがある何かもらえると思われているのではないでしょうか。それではキリスト教信仰はどうでしょうか。そこには、御利益以上の素晴らしいものがあるのです。


1,放蕩息子の兄の怒り

ルカ15章はたとえ話の宝庫です。有名な99匹の羊、なくした銀貨の話そして帰ってきた放蕩息子の話が出てきます。三つの共通した話は何かというと、「失ったものを見つけて喜んだ」と言うことです。弟息子も死んだと思われたのが生き返ったと、喜びがあったのです。失った大切なものを見つけることは大きな喜びです。
ところが一人、面白くないと思っていた人が一人いました。それは、弟の兄です。彼は祝宴の音を聞くと、召使いを呼んで何事かと尋ねました。それが、弟が無事帰ってきて祝宴を開いていることがわかって、家に入ろうとしなかったのです。
兄は、律法学者パリサイ人を表していると言われています。それは、「長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません」と言う言葉に代表されています。彼は血を分けた肉親の弟が帰ってきたことを素直に喜べませんでした。彼の心の中心にあったものは何でしょうか。おそらくは、まじめに働き、忠実に仕事をしていたらそれで報われるのだ、という思いがあったのではないかと思います。
ところが、良いことをしないばかりか財産を食いつぶして無一文で帰ってきた弟を彼は許せなかったのです。しかし、それに反して父は弟を寛容に迎え入れ、さらには宴会まで開くことに、兄には嫉妬心が生まれ、家に入ろうとしなかったのです。おそらく、そのような思いは私たちにもあるのではないでしょうか。なぜそのような思いが出てくるのか。人と自分を比べる、比較するところから出てくるのです。彼はまじめに働いてきたのに子山羊一匹くれなかった。弟は遊女におぼれ身代を食いつぶしたのに、肥えた子牛をほふらせなさったと、ひがんでいるのです。


2,父の愛

しかし、彼の父親はどうしたでしょうか。何と、兄の所に出て来て、なだめたのです。律法の世界では、子は父を敬い従うことが求められます。もし、背くなら裁きがあります。懲らしめられます。ところが、この父親は、律法にもよらず裁きも行わない、愛に満ちた方です。
兄息子は、子山羊一匹下さったことはありません。と言いましたが、父親の財産、その身代を分けてもらっていたのです。おそらく、その財産はたくさん残っていたでしょう。なぜなら、彼は父の家で生活し、畑を耕して不自由のない暮らしをしていたのです。
それ以上に、「子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ」と宣言されたのです。それが、兄の財産でした。しかし、弟はどうでしょうか。すべてを使い果たしてしまっていたのです。ただ、哀れみによって迎え入れられ、死んでいたのが生き返って来たと喜ばれているのです。


3,クリスチャンの喜び

ですから、もし私たちが、神様を信じているなら、神様のものはすべて私たちに与えられるのです。救われたものの喜びは、いのちが与えられたことと、天国においては神の子としての身分が約束され、すべては与えられるということです。
クリスチャンの喜びとは何でしょうか。それは、愛に富み寛容であり、たとえ私たちがすねてもなだめて下さる父なる神が共におられると言うことです。この方が共におられるなら私たちには恐れるものは何もありません。今はこの世の現実の中にいますが、やがて神の御前に立ち、天国に信仰を持って凱旋するときがくるのです。
そのことを信じて、いつも神様と共にこの世の人生豊かに楽しく歩ませていただきましょう。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)