柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「命のパン」ヨハネ6章34-40節

6章の始めには、パンの奇跡のことが記されています。4つの福音書すべてにこの記事が出てきます。それほど重要なことであり、多くの目撃証言があったことがわかります。空腹になっている5,000人以上の人たちを養うのはまさに神のわざ―奇跡です。それはまた、私たちを神様が養って下さる大切な約束でもあるのです。


1,世の人の求めるもの

人々はイエス様のもとに集まりました。それはイエス様が病をいやされ、死人を生き返らせ、大勢の人にパンを与えられたからです。彼らはこの世において豊かで自分たちを満足させてくれるものを求めました。
今の時代も同じです。自分の空腹を満たすもの、自分を満足させてくれるものを大勢の人は求めています。しかし私たちは、ただこの世でよりよく生きるためのものではなく、永遠に朽ちないものの為に生きる必要があるのです。それでなければ私たちは永遠の滅びに行ってしまいます。この世のものはそれを解決することができません。


2,神が命のパンを与えられる

奴隷となっていたエジプトの地からモーセによってイスラエルの人たちは脱出することができました。約束の地カナンを目指して旅をしましたが、荒野では食べるものがありません。彼らは飢え不満を漏らしました。モーセは神に祈り、天からマナという食べ物が与えられました。それを与えたのはモーセではなく、父なる神であると、イエス様はここで弟子たちに教えられたのです。確かにモーセはすばらしい指導者でした。神の友と言われるほどに神様に信頼され、用いられる人であったのです。しかし彼は神に祈り天からマナを降らせてもらっても、イスラエルの命を救うことはできなかったのです。私たちはこの世で美味しいものをたらふく食べたとしても、やがて死ぬときがあるのです。いったい誰が私たちに永遠の命、天国への救いの道を示してくれるでしょうか。神様はイスラエルをエジプトの奴隷から解放して約束の地カナンに住むことができるようにモーセを立てられました。しかし、私たちを天国に招き入れるためにもう一人の方を立てられたのです。


3,命のパン―キリスト

エス様は弟子たちに、ご自分が「命のパン」であることを証しされました。しかし、なかなか信じられなかったのです。それでもイエス様は弟子を愛されました。わたしのところに来る者を決して捨てない(37節)と約束されています。私たちもそれ故に捨てられていないのです。
そして、しかもイエス様は私たちのお腹を満たされる方ではなく、「命のパン」なのです。永遠の命を与えて下さるお方です。なぜなら、父なる神様の御心は、私たちが滅びるのではなく永遠の命に預かることを願っておられるのです。
「父のみこころは子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つこと」(40節)であると言われています。罪を犯し神様から離れた私たちを、父なる神様のもとに回復するために、イエス・キリストは十字架の上で我が身を裂き、血を流して和解を与えて下さったのです。イエス・キリストこそが私たちに命を与えて下さる真の食物、「命のパン」なのです。



             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)