柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「養われるキリスト」ルカ9章10-17節

3月11日に未曾有の大地震が東日本に甚大な被害をもたらしました。今もなお被災されている多くの方がいらっしゃいますが、私たちは一日も早い回復と復興を祈ります。

本日はイエス様が5,000人以上の人たちを一度に養われたことを見ていきます。


1,休息の必要

まず10節に、イエス様の弟子たちが帰ってくる様子が出ています。ここでは弟子と呼ばずに「使徒」とあります。使徒とは遣わされる者という意味があります。彼らはイエス様から権威と力をいただいて(1節)遣わされ(2節)、方々の村々で福音を宣べ伝え病気を治したのです(6節)。
そして彼らは喜び勇んでイエス様のところに帰って来ました。イエス様はどうされたかというと、彼らを連れてひそかに退かれた(10節)、とあります。退修(リトリート)すなわちしばらく退いて、充足のときを持たれたのです。それはまた、忙しくしている現代の私たちに取っても必要なことです。魂の休息と充電がなければ、私たちはこの世にあって燃え尽きてしまうと思います。私たちに神様は聖書の御言葉と聖霊による魂の再生と満たしを与えて下さいます。
私たちは疲れたとき、全てを主の御もとに下ろして安息を得る者でありたいと思います(マタイ11:28)。


2,キリストの養い
5,000人の給食は4福音書に全部出てきます。それだけこのことは重要であり、すべての人に印象深い奇跡であったことがわかります。
この5,000人の養いの奇跡には二つの大切な意味があります。

(1)主の聖餐
私たちの教会では月一度聖餐式を持ちます。それはキリストの十字架の救いを心に深く覚えるためです。イエス・キリストは私たちの罪を身に負われ、私たちの代わりに死んで下さいました。そのキリストを信じるなら私たちのすべての罪は赦され、永遠の命が与えられます。16節には「祝福して裂き」とありますが、十字架に架けられる最後の晩餐の時、イエス様はパンを取りそれを弟子たちに分けて与えられました。そして、わたしを記念するようにと言われたのです。
パンは、私たちのからだを養い保つものです。しかし、永遠のいのちを与えるものではありません。ヨハネ福音書6章に同じことが出ていますが、その後でイエス様は自分が命のパンであることを語られました(ヨハネ6:35)。そのパンを食べるなら飢えることも渇くこともないと言われたのです。それはまさに永遠のいのちが与えられることでした。

(2)福音の宣教
そして第二のことは、福音が伝えられることです。弟子たちが遣わされた目的は、神の国を宣べ伝えることでした。弟子たちは方々の村にいってその使命を果たし、イエス様のもとに帰ってきたのです。そして、彼らを休ませられましたがなんと大勢の群衆がついてきました。そのことに対するイエス様の群衆の対応と弟子たちの違いがわかります。
弟子たちは群衆を解散させて下さいと言いました(12節)。ところがイエス様はどうかというと、イエス様は彼らを喜んで迎え(11節)彼らに神の国のことを話され、病人をいやされたのです。そこに、イエス様の違いがあります。普通でしたら疲れ果て休みたいと思うのですが、イエス様には喜びが満ちあふれていました。なぜなら、イエス様は造り出される方です。無から有を創造され、病をいやし、神の国の希望を与えて下さる方なのです。
しかし、弟子たちは無から有を造り出すことはできません。でも、手ずから渡してあげることはできます。イエス様は弟子たちに「あなたがたで…上げなさい」(13節)と言われました。それが言うならば伝道すると言うことです。キリストを伝えることです。
エス様は子どもの弁当であったパンと魚を手に取り、祝福して裂き、弟子たちに渡しました。弟子たちはそれを群衆に分かち与えたのです。それが、伝道です。命のパンを配って人々に与えることです。
伝道とは私たちが人を救うことではありません。ただ、イエス様によって祝され、与えられたものを他の人に与えることです。私たちは素直に、祝され豊かに与えられているものを喜びをもって分かち与えたいと思います。それは、すなわちキリストの愛と赦しです。十字架の上でわたしは赦された、今わたしはイエス様に愛されて心の飢え渇いている人に愛を分かち合うときだ、と信じることです。自分を満たし潤す愛を、他の人にも分かち与えることです。
それではあの大勢の群衆はどうなったでしょうか。人々は満腹した(17節)とあります。キリストの愛を分かち合うときに私たちはすべてが満たされます。
そして今、イエス様は私たちに「あなたがたで…上げなさい」と言われているのです。私たちも、弟子たちのように命のパンを分かち合うものとさせていただきましょう。

            (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)