柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「あわれみに生かされる」ルカ18章1-14節

東北・関東で地震津波の大きな被害がありました。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

聖書のマタイ24章を見ますと地震のことも語られていますが、それはまだ始まりであると言われます。私たちはこれから起こることに関しても注意しなければならないと思います。

今日は祈りの大切さを共に学びたいと思います。

1,失望しない祈り

不正な裁判官とやもめのことが出ています。当時、裁判官がいましたが今とは違い、公正に裁判をしなかったようです。不正とあるように、賄賂を要求してその人に有利な裁判をするようなものがいたのです。
 それと共に、やもめの人たちも少なからず町にいたようです。夫を失い一人身で生活している女性です。今のように社会保障はありませんでしたから生活は大変苦しかったようです。もちろん裁判沙汰になるようなことがおきても、裁判官に賄賂を渡す余裕もありませんでした。
しかし、彼女には他の人にない熱心さがあったのです。5節を見ると、不正な裁判官は「ひっきりなしにやって来て、うるさくてしかたがない」と言っています。それだけ熱心に何度も何度も、来る日も来る日もお願いに来たのです。私たちもその熱心さを見習いたいと思います。
ただし聖書によるなら、その熱心さは「熱心で倦むことなく、霊に燃え主に仕え」(ローマ12:11)とあります。人間的な熱心ではなく、聖霊の力によって力が与えられ、励まされることです。
そして、もう一つ大切なことは「神のあわれみ」ということです。不正な裁判官は、仕方がないからそのやもめのために裁判をすると言っていますが、まして私たちを造り、愛してやまない神様が私たちを放っておかれることがあるでしょうか。そんな事は決してありません。必ず私たちを助けて下さいます。
今、大変困難な中にあったとしても、私たちが神様に絶えず祈るなら信じて待ち望むなら、必ず私たちの祈りを聞いて下さるのです。


2,謙遜な祈り

もう一つ大切なことを話されました。それはどんな祈りが聞かれるかと言うことです。二人の人が出てきます。一人はパリサイ人で、当時信仰心が厚く敬虔な人と思われていた人です。そして、もう一人は収税人です。彼は、ローマ政府の手先となって税金を取り立て不正を行い、自分の懐に不正なお金を蓄えるものとして人々から罪人と憎まれていました。
その当時の社会ではパリサイ人はりっぱな人で、収税人は悪い人と見なされていたのです。ところが神様に対して祈ることにより、彼らの真の姿が表されたのです。パリサイ人はりっぱな祈りをしました。でもそれは、人と比較し自分がよいこと行っていることを誇るような祈りであったのです。まさに自分の外見を見せびらかす祈りであったのです。
私たちの祈りはどうでしょうか。人のことを意識していないでしょうか。形だけの祈りになっていないだろうか、考えて見ることは大切です。
そして、収税人が祈りました。彼は胸をたたいて祈りました。それは、苦しみを表すすがたです。しかも短い祈りでした。「罪人のわたしをあわれんでください」。ただそれだけだったのです。
エス様は、収税人が神の前に正しいと認められたと言われました。人の見る目と神様の見られる目はちがいます。人は外見を見ますが、神様は心を見られます。私たちの真実のありのままを見られるのです。そして、心の奥底にある悩みや苦しみを知って下さる方です。「わたしが求めるのは、いけにえでなくあわれみである」といわれる方なのです。
「丈夫な人には医者は入らない。いるのは病人である。人の子が来たのも、義人を招くためではなく罪人を招くためである」とイエス様は言われました。
私たちが神の前でうなだれ、胸を打って祈るとき神様は私たちの嘆きを聞いて、慰めて下さるお方です。
私たちはますます、神様の前に心砕かれ、自分の思いを注ぎだして祈り、神様のあわれみを豊かにいただいて立ち上がらせていただきましょう。

             (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)