柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「私たちの痛みを背負うキリスト」ヘブル2章17-18節


へブル人への手紙2章17節〜18節
「私たちの痛みを背負うキリスト」
                   榊原 寛先生
(東京シャロームチャペル牧師、ワールドビジョンジャパン理事長)


『17そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。』


『キリストはあわれみ深い、忠実な大祭司』とあります。大祭司とは、神と私たちとの間の仲介者という意味です。言葉を変えれば、イエス様は私たちの仲人です。世によくある、その時だけのいわゆる「頼まれ仲人」ではなく、『忠実な大祭司』とありますように、どんな時でも、裏切られることはなく、誠実に、とことんまであなたに付き合って下さるお方です。


エス様は、私たちと同じように、いやむしろ最も貧しい、暗い、寒い、臭い馬小屋の飼い葉桶の中で、この世に来て下さいました。そして、十字架という最も重い刑で死んで下さいました。


エス様がこの世に来て下さった目的は何でしょうか。『それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。』とあります。『なだめ』とは、罪のために身代わりとなる、罪のために贖われるという意味です。贖われるとは、お金を払って奴隷を買い戻すということです。あるいは、『つぐなう』と訳している聖書もあります。『つぐなう』とは(壊した物を)弁償するということです。


すなわち、私たちの罪のために、神様との壊れた関係を修復するために、神の怒りを和らげるために、イエス様は、この世に来て下さったのです。


もうひとつの目的は、『主は、ご自身が苦しみを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。』とあります。


エス様は、十字架にかかられる夜に、ゲツセマネで祈られました。「悲しみのあまり死ぬほどだ」と。主ご自身が試みにあって下さったのです。私たちが、この世にあってどんな試みにあおうとも、イエス様は『夜明けに川に立って』受け止めて下さるのです。