柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストによる救い」ローマ3章22-24節

まことの神様は全ての人が救われることを願っておられます。

それはなぜかというと23節に「神からの栄誉を受けることができず」とあるように、私たちは喜びのない、また空しい人生を過ごしているからなのです。


1,人間の罪を知る

大阪城を建てたのは今太閤と呼ばれた豊臣秀吉です。彼は天下統一を成し遂げ、城を築いたのです。しかし彼は病に冒され「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢 」と辞世の句を遺してはかなく世を去りました。足軽から身を起こして天下統一を成し遂げても露のようにこの世の人生ははかないものなのです。彼もまた福音を聞くチャンスはありました。しかし、彼はそれを拒みました。この世のものに心奪われ大切なものを逃してしまったのです。
それは、初めの人間アダム以来からの「罪」が人の心にあるからです。アダムとエバは神によって造られ、この世を支配する者となりました。そして、神様の祝福を受けてすべてのものは満ち足りていたのです。ところが、彼の心には自分は神のようにすばらしいものになりたいという欲望が心のうちにあったのです。それは私たちの内にもあるのではないでしょうか。
サタンは巧妙に彼に近づき、神が取って食べてはならないと命令された「中央にある木の実」を取って食べたのです。彼らはどうなったでしょうか。神のようにはなれなかったのです。自分が裸であることを気づき、隠すようになりました。喜びよりもむしろ恥を知るものとなったのです。当然みじめになり、神様から身を隠す者となりました。私たちはどうでしょうか。
アダムやエバと同じように、欲に負けサタンにそそのかされて神様に不従順となり罪を犯して身を隠しているものになっているのではないでしょうか。
私たちの心の中に、恐れや恥、人に知られたくない弱さ、そうした消極的な思いはないでしょうか。私たちはそのような心の状態から救われなければなりません。私たちの心を暗くする、神と人とを離れさせる罪を取りのぞいてもらわなければならないのです。そのままではやがて永遠の滅びに行ってしまうのです。


2,罪を取りのぞいてもらう

24節には「神の恵み」「キリストの贖い」という言葉があります。まず、キリストの贖いとは何でしょうか。それは十字架です。キリストが私たちの心の内に持っている罪を負ってくださり、罪の支払うべき代価を代わりに払ってくださったのです。
私たちは時々親しい人と食事をすることがあります。ときにはごちそうになる、おごってもらうこともあると思います。その時は相手が全部支払ってくれるのです。仲の良い人にはおごってあげることもあると思いますが、嫌いな人にはできないのではないでしょうか。しかし、キリストは神から離れた罪人であり失敗者である私たちのために全てのものを負債をも支払ってくださるお方なのです。


3,キリストを信じる

最初、人が造られたとき、それは空しく滅びゆくものとして造られたのではありません。神の思いを知り、交わり、喜びにあふれるために私たちは神に似せて造られました。しかし、罪のために栄誉を受けられなくなったのです。ところが、神様は私たちを愛する故に、救い主キリストを遣わされ、私たちのために、身代わりとして十字架にかけられました。
私たちが、自分の犯してきた罪過ちが赦される条件は何でしょうか。それはただキリストを信じることです。私たちは自分の行いによって、自分を救うことはできません。自分の力で自分を完全に幸福にすることはできないのです。たとえ全世界を手に入れたとしても、永遠の命を得ることはできないのです。
しかし、イエス・キリストを信じるなら、私たちは神様から義と認められる、正しいものとされて永遠の命にあずかり、神からの「栄誉」を受けることができるのです。

この世で得ることのできない、永遠の命、愛、喜び、希望を神様はイエス・キリストを通して私たちに豊かに与えて下さいます。


               (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)