柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「十字架の道」ヘブル12章3-13節

ヘブル人への手紙はローマの迫害下にあるクリスチャンたちに宛てて書かれた手紙と言われています。「懲らしめ」という言葉が繰り返し出てきますが、ここでのポイントになる言葉であると思います。
 たちはこの世に生きていて、ときには苦しみや困難を経験することがあります。それをどのように理解し受け止め、克服していくかによって私たちの人生は大きく変わってくると思います。


1,子としての訓練

私たちは時々苦しく感じることがあります。困難に直面した時、また自分がどのようにして良いのか分からない時、苦しみを心に覚えます。それがクリスチャンになってもなくなることはありません。
なぜクリスチャンになっても苦しむのか、その答えは7節にあります。「神は私たちを自分の子として扱っておられる」とあります。神の子どもの故に、私たちは訓練を与えられるのです。百獣の王と言われるライオンもその子を谷に投げ落とし這い上がってくるのを待つ、と言われますが神様は私たちを自分の子として訓練される、取り扱われる意味があるのです。
ですから、もし私たちがほんとうの子でないなら、神様は私たちを訓練される必要はありません。そのまま放っておかれるのではないでしょうか。しかし、私たちを我が子としてこの世で勝利するために私たちを訓練されるのです。ですから、自分が苦しむ時は神様が試練を与えて、私を強くして下さると信じる必要があります。そうするならば、苦難もまた喜びに変えられてくるのです。


2,キリストを思う

私たちは自分が試練に遭うとき苦しむときに、耐えられないものであると思う必要はありません。むしろこれは訓練である、このことを通して神様は私を強くして下さると信じるなら状況は変わります。?コリント10章13節に「耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」とあります。脱出の道は何でしょうか。イエス・キリストは「私は道であり、真理であり命である」と言われました。イエス・キリストが私たちの脱出の道です。3節に「罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい」とあります。まず私たちはイエス・キリストのことを心に考え、思い巡らすのです。なぜ十字架にかけられ苦しめられ殺されたのか。それは私たちの救いのためでした。十字架によって私たちは罪赦され、神の子とされたのです。そして、私たちは御国すなわち天国を受け継ぐものとされたのです。私たちはこの世で大富豪の子ども養子として受けいれられよりも、さらに優ったすばらしい恵みと栄光を神の子として天国で受けることができるのです。
そのために、イエス・キリストが十字架で支払われた大きな代価を考えなければなりません。キリストによって私たちは滅びから救われたのです。


3,苦しみから与えられるもの

三つの与えられるものがあります。
(1) 3節に「心が元気を失い、疲れ果ててしまわないため」とあります。私たちは十字架によって心が元気になり、新しい力に満たされることができるのです。「十字架のことばは、滅びゆくもにのには愚かであるが、救いにあずかる私たちには神の力である」とあるのです。

(2) さらに、「ご自身の聖さにあずからせ」と10節にあります。私たちは心がきよくなければ神を見ることはできません。神様は試練を通らせ、懲らしめをもって私たちをきよめてくださるのです。私たちはかつて神の恵みにほど遠いものでした。しかし、あわれみを受けキリストにより神に近づくものとされたのです。十字架の血潮によって私たちはきよめられました。きよめられることにより、私たちは神の恵みが分かります。キリストに従うことにより、キリストの愛と恵みが分かってきます。イエス様は私たちに「私についてきたと思うものは、自分を捨て自分の十字架を負って私にしたがってきなさい」と言われました。十字架の道を歩むとき、十字架のすばらしさ喜びが分かってくるのです。

(3) そしてさらに、試練と懲らしめを通して「平安な義の実を結ばせる」と約束されています。それは聖霊による実です。心きよめられ、聖霊が豊かに働かれて義の実を、喜びの実を実らせて下さいます。


私たちも、主とともに十字架の道を歩ませていただき勝利の栄冠を与えていただきましょう。


                   (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)