柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「これほどまでに愛されている」1ヨハネ4章9-11節

今日は礼拝でベバリー・リバースさんがすばらしい賛美を献げて下さいました。イエス・キリストを信じて救われることが如何にすばらしいことかを改めて思います。
今朝はヨハネの第一の手紙4章9〜11節を読んでいただきました。この手紙は別名「愛の手紙」と呼ばれています。なぜならこの手紙に愛という言葉がたくさん出てくるからです。
ただ聖書が言っている愛は、私たちがふだん使う「愛」とは少しちがうと思います。
私たちが人を愛するときは、その人が親切にしてくれる、やさしいから、すばらしい人だからということで愛すると思います。それだけ自分にとって価値があるから愛することができるのです。でもその人が、自分に親切でないならどうでしょうか。愛せないと思います。いつも怒ったり、怒鳴り散らすような人を私たちは愛せるでしょうか。なかなか難しいと思います。
しかし、イエス・キリストはそうではありませんでした。人々からのけ者にされていたり、嫌われているような人たちの中に入り、彼らと食事を一緒にし、友だちになったのです。それがキリストの愛でした。
私たちは自分の都合の良いことや、自分にとってすばらしいものを愛しますが、イエス・キリストはたとえそうでなくても愛されるのです。ですから、私たちはりっぱな人にならなくても、たとえ人から愛されないようなものであっても大丈夫です。なぜなら、イエス・キリストが私たちを愛して下さるのです。
日本は太平洋戦争が終わって65年経ちました。奇跡的に復興し、経済的には豊かになりました。でも精神的に豊かであるかと問われるとそうではありません。自分が幸せだと答える人は少ないと思います。自殺者数もここ12年間3万人を下っていません。 それは、生きがいがないからです。生きる目的が見つからないのです。
しかし、イエス・キリストは、私たちに生きる希望、いや命そのものを与えて下さる方です。
田原米子さんは17才の時電車に飛び込みました。しかし、奇跡的に助かりました。それよりももっと大きな奇跡が起きました。彼女は人生の喜びを知ったのです。それはイエス・キリストでした。キリストが彼女のために苦しみ。そしてすべての罪・咎を背負って十字架で死んで下さった、そのことを信じたときに人生が変わったのです。自分は神様に愛されている、生きている。死のうとしたのに生かされている。感謝と喜びの人生に変えられたのです。
確かにキリストは、私たちに生きる希望、それ以上に命を与えて下さる方なのです。キリストは私たちにいのちを与えて下さるのです。そして更にすばらしいことは、私たちが神を愛したのではなく、神様が私たちを愛して下さっておられるという事実です。私たちに愛がなくても大丈夫です。神様が私たちを愛し、その愛で私たちの心は満たされるからです。キリストが十字架に架けられたとき、彼の口からでてきた言葉は、「父よ、彼らをお赦しください」という、自分を十字架につけた人たちへの赦しの祈りだったのです。
それはまた、私たちに対する祈りでもあります。私たちもまた、この暑さのなかイライラしたり、自分の気に入らないことがあって腹を立てることも多いと思います。そんな私たちをも神様は愛されます。神様の愛の表れは十字架にあるのです。イエス・キリストはなだめの供え物となって下さいました。それは、神様の怒りを和らげ、また私たちの怒りを静めるなだめの供え物となって下さったのです。
十字架には私たちの心をなだめ、あわれみ、癒す力があるのです。わたしたちもまた、キリストの十字架を通して神様が愛して下さっておられることを心に信じて受け止め、神の愛に生かしていただきましょう。


               (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)