柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「キリストの平和」ヨハネ14章27節

今年は太平洋戦争が終わって65年です。日本は戦争がなく平和な時代であると言えますが、全世界を見ますと今も紛争があり、平和とは決して言えません。またたとえ戦争がなくても、私たちの心はどうでしょうか。この世に生きている限り、不安やおそれがあるのではないかと思います。
しかし、イエス・キリストは私たちに平安を与えると言っておられます。


1,この世には不安がある。

その前にまず考えなければならないことは、この世には不安があると言うことです。この言葉を語られた背景があります。それは、過越の祭りの最後の晩餐の時でした。イエス様は彼らに、これから起こるべきことを語られ弟子たちはいったいどうなるのだろうかと不安に思ったのです。
その時にイエス様は弟子たちに平安を残し、私の平安を与えると約束されたのです。しかし、この平安はどのようにして手に入れることができるでしょうか。それは、私たちの行いや努力によって得られるものではありません。それはまさに信仰によって得られるものです。


2,平安には2種類ある

エス様のいわれた言葉を見ると、「私の平安」と「世が与える」という言葉が出てきます。実は平安と言っても二つのもの二種類の平安があるのです。
この世の平安とはどんなものでしょうか。それは、からだが健康であるとか、仕事や勉強がうまくいっている、家庭もみんな仲良く円満である。といったものがこの世の平安ではないかと思います。そしておそらくはこの世の多くの人が、そうしたものを求めているのではないでしょうか。もちろん私たちが健康でまた食べるものも着るものも住むところもすばらしいものが与えられれば幸いであると思います。
しかし、残念ながら私たちはそれを永遠に得ることはできないのです。中国を統一した秦の始皇帝でさえも「不老長寿の薬」を求めましたが手に入れることはできませんでした。私たちはこの世で永遠に生きることはできないのです。今100才以上の高齢者の行方不明が問題になっていますが、人間は永遠にこの世で生き続けることはできないのです。
それではイエス・キリストの与えられる平安とはどのようなものでしょうか。それは、揺るぎのないものであり、たとえどんなに苦しむことや辛いことがあっても乗り越えることのできる平安です。
この世の平安は、ひとたび波風が起こると崩れ去ります。しかし、キリストの平安はたとえ、健康を害しても、貧しくなっても、逆境のなかにあっても微動だにしないものなのです。
なぜなら、それは永遠のいのちが与えられることであり、不滅のものなのです。この世が与える物質的な喜びや満足ではなく、むしろ私たちのたましいのなかに与えられる揺るぎない平安なのです。


3,信仰によって得られる

エス様がこのことを言われたのは、十字架に架けられる直前の時でした。普通だったら恐ろしくて、逃げだしたくなるのではないかと思います。現に弟子たちは逃げてしまいました。しかし、当の本人イエス様はまったく逃げられなかったのです。なぜなら、イエス様御自身が平安であったからです。とは言っても、ゲツセマネの園では血の汗を流されるほどに、心もだえて祈られました。しかし、父なる神の御心に従われたのです。
私たちもどのようにして平安を得ることができるでしょうか。それは、イエス様のように、父なる神を信頼してすべてを委ねて従うときに、揺るぎない平安をいただくことができるのです。
神は真実なお方です。私たちの必要をすべてご存じです。私たちもまた、イエス様のようにすべてを委ね、明け渡して、大いなる平安を私たちのたましいの内に豊かに与えていただきたいと思います。

            

                 (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)