柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

キリストは生きて働かれる(マルコ16章14〜20節)

イースターおめでとうございます。今日はキリストが死の中からよみがえられた記念すべき日です。日曜日の朝なぜ私たちは教会に来て礼拝するのか。実はキリストの復活から来ているのです。元々は、土曜日が安息日でありその日は全ての働きを止めて神を礼拝する日でした。しかしそれが、キリストの復活によって変わったのです。週の初めの朝、預言されたようにキリストは死の中からよみがえられました。
1,人を信じるものにされる
 20節の前半を見ますと「彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた」とあります。彼らとはキリストの弟子のことです。彼らにはもともとそうした素質・能力があったでしょうか。最初はそうではありませんでした。イエス・キリストのよみがえられたとき、彼らはそのことも信じられなかったのです。14節を見ますと弟子たちが不信仰であったことがわかります。そもそも、彼らはキリストに最後までついて行くと言いながら裏切りました。そして約束されていたようにキリストが復活されても信じなかったのです。それが彼らの姿でした。
 それでもキリストは彼らを見捨てられませんでした。確かに彼らの不信仰を責められました。しかし彼ら自身を否定されたのではありません。そんな弱い信仰の弟子たちでしたが、彼らはキリストに愛され、はぐくまれ信仰は強められたのです。
 神様は私たちを愛され、同じように信仰が強くなるように助けて下さるお方です。ですから、信じられなくても大丈夫です。神様が信じられるようにして下さいます。私も最初復活が信じられませんでした。復活がなければキリスト教は信じられる、最初はそう思っていたのです。しかし今は全く違います。復活がなければ信じられません。もし復活がなければ私たちが生まれてきた意味はないのです。死からよみがえる復活があるから生きる希望が湧いてきます。弱さに打ち勝つことができるのです。奈良を観光していた宣教師が、五重塔がシャカの骨を安置しているところだと聞いて思わず「バンザイ」と叫びました。みんなびっくりしました。なぜかと聞いたら、「シャカは死んだが、キリストは死の中からよみがえられた。それで嬉しくなった」と答えたそうです。復活には希望があり喜び力があります。あのイエス・キリストを裏切った弟子たちでさえ、その後に、15節と20節にあるように全世界に全てのものに福音を宣べ伝えるものに変わっていきました。
2,キリストは生きて働かれる
 20節の二つ目のことは「主は彼らとともに働き」とあります。今全世界でキリストを救い主と信じる人は20億人以上いると言われています。それは自然とそうなったのではありません。苦難の中にもキリストの救いを伝える人があったからです。
その人に力があったと言うよりも、「主は彼らと共に働き」そこに信仰の秘訣があるのです。キリストの弟子たちは弱いものでした。キリストから不信仰を責められました。(14節)それでも彼らが福音を伝えることができたのは「主が彼らとともにおられ」「彼らと働かれたからです」17節から見ると信じる人々に神がともに働かれる姿があります。キリストの名によって悪霊は退き、救いの福音は語られ、ヘビや毒の害を受けることもなく、病人もいやされる神の御業が現されるとあります。それらは副産物的なものです。その目的は「みことばを確かなもの」とされるためです。たとえ全世界をもうけてもいのちを失ったら何の得にもなりません。私たちを救い得るのは神のみことばです。
 「信じてバプテスマを受ける者は救われます」とキリストは言われました。私たちもそのようになりたいと思います。救いにあずかり神の御業、栄光を拝することができるのはすばらしいことです。
 先日「腸生」を清教学園の中山昇先生から送っていただきました。清教学園の生い立ちが記されてあり「山に向かって『ここから、あそこに移れ』」の信仰のごとく山が切り開かれ、その土は海に運ばれ学校が建てられた経緯が語られていたのです。確かに神はともに働かれます。私たちの人生にも働かれ私たちをすばらしい人生に導かれるのです。この救い主キリストに期待いたしましょう。

                    (宣教者 柏原教会牧師  西本耕一)