柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「いやされるキリスト」(マルコ2章:1〜12節)

ここに一人のひとが癒されることが記されています。聖書の他の箇所でもいやしのことが出てきます。現代は医学がかなり進歩してきました。そのおかげで寿命も延びてきています。それでも病気はなくなりません。特に現代病といわれる精神的な疾患は増えてきているように思われます。薬で治らないものもあります。キリストのいやしの業は今の時代にも必要ではないでしょうか。

1,愛は常識を越える 
エス様がカペナウムの町に来られたとき、大勢の群衆が家にまで押しかけてきました。ペテロの実家だったかもしれません。そんな彼らにイエス様はみことばを語られたのです。みことばを語るとは聖書のお話をすることです。神様が私たちを救って下さる話をすることを、イエス様は第一のこととされたのです。
 そのとき、中風の人が運ばれてきました。今でいうなら脳梗塞(のうこうそく)でしょう。からだがまったく動かなくなります。今でなら血栓を溶かす薬もありリハビリで回復できますが、2000年前はそうではありませんでした。命にかかわることになりました。
 四人の人がその中風の人を連れてきました。ところが、人が密集していてイエス様のもとに行くことができなかったのです。何と彼らは屋根をはいで穴を開け、中風の人を床のままつり下ろしたのです。人が寝たままつり下げられるとは、かなりの大きな穴です。して良いことと悪いことがあります。しかし、イエス様はこのことを非難されませんでした。おしかりにならなかったのです。緊急を要する場合は例外もあるのです。たとえば、交差点で赤信号で渡ると信号無視の違反になります。しかし例外があります。救急車です。赤信号で渡っても違反にならないのです。なぜなら命を助けることの方が優先されるからです。この場合も、中風の人の命がかかっていました。おそらく四人は決死の覚悟でこの人をイエス様のもとに連れてきたと思います。そして、必ずイエス様はいやして下さる、救って下さると信じていたでしょう。だから、こんな大胆なことができたのです。命を救うために、愛は常識を越えるのです。

2,愛によるいやし
 穴を開けて、病人をつり下ろしイエス様の前に連れてくることを、イエス様は彼らの「信仰」と見られました。信仰がなければできない事です。わたしたちも、もし常識だけで生きていたらそれはつまらない人生であると思います。ある意味、もうだめだからあきらめようとするのではないでしょうか。あの四人も愛がなく、常識だけだったらあきらめて何もしなかったと思います。しかし、彼らには信仰がありました。キリストを信じる信仰です。自分たちはだめだけれども、イエス様は必ずいやして下さる。救って下さるという信仰があったのです。そしてもう一つありました。それは「愛」です。彼らは中風で身動き一つできない、何の役にも立たない友を愛したのです。屋根に穴を開ける動機はその「愛」だったのです。愛が彼らを動かし、中風の友をキリストの前に連れてくることができたのです。おそらく愛がなければできなかったでしょう。そのこと自体には何の価値も値打ちもありません。1文の得にもならない事です。かえって屋根の修理代を払わなければならないのです。愛がなければできないのです。おそらく私たちにとっても同じことです。キリストの愛がなかったら、私たちに救いを伝えてくれる人はいなかったでしょうし、私たちは救われることはありませんでした。しかし、愛があったからこそ私たちにも福音が伝えられ信じることができたのです。そして私たちもキリストの愛によって福音を伝えていくことが可能なのです。
 イエス様は「子よ。あなたの罪は赦されました。」と宣言されました。もちろん中風の人はイエス様の子ではありません。それは、親しみ深い愛の言葉です。私にはあなたをいやす責任がある、私がいやすと言って下さった言葉なのです。そして「罪が赦される」のです。脳梗塞は血管に血のかたまり血栓ができて、血液が流れなくなり脳の細胞が死んでしまう病気です。血栓が取れれば直ります。罪はある意味、血栓のようなものです。神様の愛、恵が流れてきているのに、罪がふさいでしまい私たちの内に神の愛、恵が行き渡らないようになってしまうのです。やがては愛に枯渇し、それは永遠の滅びへと向かって行くことになるのです。
 そのためには、罪が取りのぞかれなければなりません。いったいどうすれば罪が解決するのか。唯一の方法は十字架です。十字架にキリストは私たちの罪を引き受け身代わりとなって死んで下さったのです。罪を取りのぞくのはただ十字架だけです。十字架により罪は赦され、恵は注がれ神が私を愛して下さることがよくわかるようになるのです。
 罪を赦す権威を持っていることがわかるように、イエス様は中風の人を癒されました。彼は元気になり床をたたんで歩いて出ていったのです。私たちをもキリストはいやして下さいます。私たちの内にある罪を十字架によって赦し、恵を注いで下さり元気に立ち上がることができます。イエス様を信じ、力を与えていただきましょう。
                      (宣教者 柏原教会牧師 西本耕一)