今日は詩篇119編を開きました。詩篇の中でも最も長いものです。全部で176節あります。その中の9〜16節を学びます。
ここに若い人と出てきます。すなわち青年です。青年は老人に比べると誘惑に陥りやすいと思います。なぜなら、経験がとぼしくその先どうなるかわからないからです。そのかわり柔軟性があります。新しいものを受けいれやすく、対応が早いのです。失敗も多いのですが、そこから学べるものも多いのです。ある統計で、教会員の救われた数を調べると半数以上が10代後半に救われたというのがありました。それだけ、救いを受けいれやすい年代でもあるのです。
それでは、誘惑に打ち勝つ秘訣は何でしょうか。
1,神のことばを心にたくわえる
それは、11節にあるように「あなたのことばを心にたくわえ」ることです。神のことばは私たちの魂、心にとっての栄養―力の源です。神のことばがなくては、私たちは誘惑に打ち勝つことができないのです。イエス・キリストは洗礼を受けた後に荒野でサタンの誘惑にあいました。「石ころをパンに変えてみろ」と言われました。それは簡単なことですが、サタンの誘いには乗られませんでした。サタンのことばに聞き従わなかったのです。「人が生きるのはパンだけではなく神の口から出るひとつひとつのことばによる」と見事にサタンを撃退されたのです。それも聖書のことばです。ですから、私たちが聖書のことばを心にたくわえるならサタンの誘惑にも打ち勝つことができるのです。
創世記の39章を見るとヨセフという人が出てきます。彼は兄弟たちのねたみを受け、エジプトに売られ奴隷となりました。しかし、神様が彼と共におられ彼を守られ祝福されたのです。それで彼は家の主人からも信頼されその家を任されたのです。しかし、その奥さんが彼を誘惑しました。ヨセフは「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」(創世記39:9)と言って誘惑をしりぞけ身を聖く保ち勝利の人生を歩むことができたのです。その後彼は、奴隷からエジプトの宰相にまでなったのです。もし彼が誘惑に負けて罪を犯していればそのようなことはありませんでした。御言葉によって身を聖く保つことは、神の大きな祝福にあずかることになるのです。
2,神のことばを喜びとする
14節に「あなたのさとしの道を、・・・喜んでいます」とあります。それは聖書の御言葉によって人生を歩む、生活することの楽しさを語っていることばです。最近は車にも「ナビ」がついて便利になりました。行ったことのないところでも「ナビ」があるとほぼ間違いなく行くことができます。聖書はある意味、人生の「ナビ」です。自分の歩むべき道を示し、そして今自分がどこにいるのか、どこへ向かって行くのか分かるのです。聖書を読めば自分の人生がわかる、自分の人生を楽しむことができるのです。
かつて「暗黒大陸」といわれたアフリカを探検した、リビングストンと言う人がいました。わたしは小学生の頃、彼は偉大な探検家として知りました。しかし後、彼は実は宣教師であったことがわかったのです。何で彼は前人未踏のジャングルに行かなければならなかったのか。彼はそこに住む人々に神のことば救いのことば、聖書を伝えたかったのです。彼はついにジャングルで神の御もとに召されることになりました。彼の最後の姿はベッドのそばで聖書を開いてひざまずき、祈りの姿であったそうです。それが彼の地上最後の姿でした。
彼は若き日にキリストを自分の救い主として信じました。そして何と9才の時、この詩篇119編を全部暗唱したそうです。それで新約聖書を日曜学校からもらい、ますます聖書が好きになっていったという逸話があります。
私たちも、聖書の御言葉を心にたくわえるとそれが力となり、あのアダムとエバ以来人間をだまし、神から離そうとするサタンに打ち勝つことができます。そしてヨセフのようにすばらしい祝福に与り、またリビングストンのように神の救いのことばを証しすることもできるようになるのです。
「私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません」(16節)とありますが、その恵を豊かにいただき、悪に打ち勝ち、勝利と喜びに満ちた人生を得たいと思います。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)