柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「新しい出発」 第2コリント5章17節

年が改まり2010年を迎えました。心も思いも新たにして始めようと決心される方も多いと思います。しかし、なかなか新しくなれないのが私たちの心や思いではないでしょうか。
昨年末、2009年の今年の漢字に「新」が選ばれました。一昨年は「変」でした。おそらくは多くの人が新しくなりたい。変わりたいとの思いがあるのではないでしょうか。

今日の聖書の箇所に、「新」という字が二回出てきます。そこには、私たちが新しくなる可能性があります。


1,だれでもできる

新しくなれるのは、特別な能力や賜物のあるひとではありません。聖書はわたしたちに「だれでも」と言っています。ですから、お年寄りであろうが幼子であってもだれでも新しくなれるのです。
ただしここには一つの条件があります。それは「キリストのうちにある」ならば、ということです。キリストの内にあるとはどういうことでしょうか。私たちは今、教会の内にいます。外は寒いですけれど、内側は温かいです。コートも必要ありません。冬の北海道では、家の中の暖房が温かく、半袖でアイスクリームを食べるもいると聞いたことがあります。
ですから、キリストの内にあるなら外が如何様に大変であっても、守られると言うことです。この間、宇宙服の値段が10億円と聞きました。その服がなければ、宇宙空間で飛行士は何もできませんし、生きることもできないのです。この大気の中で守られて生きていることは幸いなことです。それと同じように、私たちは、キリストによってすべての災いから守られて生きることができるのです。


2,本質的に新しくなる

キリストの内にあると、「その人は新しく造られた者」であると聖書は言っています。新しいとは単に時間的な新しさではなく、むしろ質的な新しさを意味しています。私たちは、キリストにあってまったく新しくなるのです。新しい性質を持つものとなるのです。「朱に交われば赤くなる」ということわざがありますが、私たちが心にキリストを受けいれるとまさに、キリストに似たものとして新しく創造されるのです。そのときには、今までの古いもの私たちの古い心の性質はことごとく過ぎ去り新しくなります。たとえば、服でもよれよれの着古した古い服を脱ぎ捨てて、真新しい自分の身体に合ったものを着るなら気分的にもすがすがしく新しくなったような気がします。それ以上に、私たちはキリストによって私たちの心がまったく新しくなるのです。この手紙を書いたパウロ自身がまったく新しくなりました。キリストに敵対し、迫害していた人が、キリストを宣べ伝え、苦しめられても忍耐し、自分を迫害する人を赦し受けいれる人に変わったのです。それは、彼の努力ではありません。ただ彼はイエス・キリストを自分の救い主と信じただけです。心に受けいれただけなのです。
私たちも、キリストを信じ受け入れるだけで、人生は新しく変わります。いままでどんな悪習慣に捕らわれていた人も、罪の鎖が断ち切られ解放され、自由になれるのです。無罪放免となるのです。囚われの身から、晴れて自由の身となれるのです。これほど嬉しいこと、喜びに満ちた生き方はありません。キリストはあなたを自由にします。心に平安と喜びを与えられ満ちあふれるものとされるのです。
キリストが心の中におられると、彼は「世の光」ですから、明るくなり、自然に顔にもほほえみが出てきます。キリストの十字架の血潮により心も聖められ(?ヨハネ1:7)、汚れた生活にとどまることも気持ち悪くなり、聖い生活を求めるようになります。そして、キリストの愛をいただくなら、その愛によって人を愛するものへと変えられていくのです。

キリストは人をまったく新しく造りかえられます。単なる自分の新年の決意表明ではなく、キリストを救い主として受けいれ、新しい人生を始めましょう。

                   (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)