柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「救いの道を歩む」イザヤ2章3-5節

今の時代、科学の進歩はめざましいものがあります。しかし、希望が持てる将来をどれほどの人が感じているでしょうか。
聖書には一つの希望があります。それは救いの光を見いだせることが預言されています。キリストが再臨され地上に千年間の平和な時代がおとずれることの預言と言われています。
そして5節に「主の光」に歩もうとありますが、それは救い主キリストを意味する言葉です。今は待降節、世の光、救い主キリストを待ち望むのです。


1,神の家へ行く

3節に主の山とありますが、実際にはシオンの山、エルサレムを指しています。
しかし、もっと幅広く考えるなら、私たちにとっては、教会を意味するものであると思います。ヤコブの神の家とありますが、それは神殿を意味し、現代であるなら私たちが今集っているところの教会を指すものです。なぜなら、私たちは今このところで礼拝を献げているからです。
ヤコブとは、信仰の父と呼ばれたアブラハムの孫にあたります。彼は次男で、家督相続は出来ませんでした。しかも、兄をだまし、父イサクを欺いて、家督を奪おうとしました。彼の名前は、押しのける者という意味がありますが、まさに肉欲の人であったのです。ついには家を追われ、異国の地で生活しなければならなかったのですが、神のあわれみにより、守られ祝福が与えられ、ついには、家督を継ぐものとなったのです。なぜなら、彼は神に祈り、勝利が与えられ、肉の人からイスラエル―神の皇太子と呼ばれるようになったのです。
彼はその祝福の道、信仰の道を歩むことが出来たのです。3節にも、主はご自分の道を、私たちに教えてくださるとありますが、それが教会のあるべき姿です。ここで礼拝し、私たちは、聖書を通して、主の道を知り、そして祝福と守りの中を歩んでいくことが出来るのです。


2,救いの光に歩む

4節にはキリストが、治められて平和によって支配されることが語られています。「剣を鋤に、槍をかまに、二度と戦いのことを習わない」と千年王国の一つの姿であろうと思われます。
キリストは私たちの救いであり、争いを治めることの出来る方です。愛をもって争いを止めさせられます。その手段が十字架でした。私たちの怒りや憎しみを十字架の上で受けて下さり、磔になっていのちを捨てて下さったのです。そのことにより、私たちの罪は赦され、戦いは止むのです。
 新約聖書ヨハネ福音書8章には姦淫の罪で訴えられた女のことが出てきますが、罪のないものが石を投げなさいとキリストは言われ、みんないなくなりました。そして、「私もあなたを罪に定めない。決して罪を犯してはなりません。」と言われました。どうしたら、罪を犯さなくてすむのでしょうか。
その後でキリストは「私は世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」と約束されました。
キリストに従うことです。イザヤが預言したように「私たちも主の光に歩む」ことなのです。そうするなら命の光をうちに持ち、心の中に闇はなくなるのです。


       (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)