柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「強くして下さる主」1テモテ1章12-16節

この手紙は、エペソで苦難の中で伝道をしているテモテを励ますために、パウロが送った手紙です。神様は今も困難な中にいる私たちを、神の御言葉を通して励まして下さいます。


1,過去のパウロ

パウロは初めからクリスチャンではありませんでした。過去の姿は13節に語られています。彼はかつて「神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者」でした。神をとは、心の中に憎しみや怒りを感じることではないでしょうか。しかし、そのことがやがて、迫害となり暴力となるのです。
彼は、まさにキリスト教を迫害する者であり、クリスチャンに暴力をふるうものであったのです。しかし彼は悩みがありました。彼は、良いことをしたいと願っていました。しかし、自分でしたい善を行わないで、かえってしたくない悪すなわち、クリスチャンを迫害し暴力をふるっていたのです。そしてそのことが分かった彼は悩みました。苦しみました。だれがこの死の体から私を救い出してくれるのかと、魂のうめきを感じていたのです。
ところが彼は、迫害している中で、復活のキリストに出会いました。彼は十字架にかかり、死の中からよみがえられたキリストを信じたのです。そして彼は、愛の使徒、命がけでキリストの救いを伝える人に変えられたのです。


2,キリストのあわれみ

そんな彼を、イエス様は哀れまれ、すべての罪を十字架で赦されたのです。彼もまた、ゴルゴダの十字架を見たかもしれません。しかし、信じなかったのです。その時は信じられなかったでしょう。しかし、彼が心の中で嘆き叫ぶ声をキリストは聞いておられたのです。そして、彼は復活のキリストに出会いました。そこで彼は個人的にキリストを受け入れたのです。それが信仰という者です。心で信じて義と認められるのです。そして、キリストの愛は彼の心に注がれました。空しい心が愛で満たされたのです。しかも、すべての罪が赦されるという恵みを知ったのです。彼は変えられました。空しい心から、キリストの愛に満たされる者となったのです。
ですから、彼は喜んでキリストの救いを伝えました。しかも自らを、罪人のかしらと言って、罪が赦されたことを宣べ伝えたのです。キリスト教の救いとは、罪からの解放、罪の赦しです。その罪とは、9節10節に記されてあります。私たちは罪から自由になり、キリストに愛されて生きる者となるのです。


3,見本として生きる

彼の生き様は、まさに罪の赦しの手本でした。16節には見本とありますが、彼はキリストからあわれみを受けることの見本であったのです。おそらく彼の心にも、罪を犯したことの痛みはあったでしょう。また、悩みもあったでしょう。心の傷もあったでしょう。しかし、彼はあわれみを受けたのです。たとえ、心の傷が深いものであったとしても、またその悩みが深いものであったとしても、この恵みはますます、満ちあふれるのです。たとえ罪の思いが大きくなっても、それをしのぐほど、すっぽりと覆ってしまうほどの神の恵みは、まし加わるのです。新聖歌376に「罪の汚れは いや増すとも 主の恵みもまた いや増すなり とあるようにますます増し加えられるのです。」
私たちも、パウロのように、かつては罪人のかしらであった者が、十字架で赦され、あわれみをいただいていると感謝しましょう。


        (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)