柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「収穫の喜び」 詩篇126篇1-6節

11月23日は勤労感謝の日で祝日です。それとともに、教会のカレンダーでは、26日木曜日が「収穫感謝祭」となっています。日本ではあまりなじみがありませんが、アメリカでは11月の第四木曜日が「収穫感謝祭」の祝日となっています。 ことのいわれは、1620年にイギリスからピューリタン清教徒)がアメリカにメイ・フラワー号で上陸し、移住しましたが、なれない厳しい自然環境の中で多くの人が死んで行きました。しかし、現地の先住民族であったアメリカ・インディアンの人たちが彼らを助けました。食料を分けたり、トウモロコシの種を与えました。翌年、そのトウモロコシが大豊作で多くの収穫を得ました。そのことを共に感謝し、礼拝をささげたのが始まりだと言われています。
今日の詩篇126篇は都上りの歌と題が付いています。それはエルサレムの神殿でお祭りのあるとき、各地から集まってきた人たちが神殿を詣でるときに歌った詩篇であることを意味しています。
詩篇126編はバビロン補囚からの解放と、繁栄の喜びを歌っています。


1,神の約束は必ず果たされる

イスラエルの民はソロモン王以降、神に不従順であり偶像礼拝に陥り、ついにはバビロン帝国に滅ぼされ、人々は補囚となってしまったのです。もちろん国は滅び、エルサレムは荒れ果て神殿は廃墟となったのです。
しかし、神様はそんなイスラエルを憐れまれ70年後に再建されることを約束されたのです。それは驚くべき、解放であり救いでした。奇跡的なことであったのです。1節を見ると、「夢を見ている者のようであった」とあります。使徒12:9にはペテロが牢獄で鎖につながれ、ヘロデ王に殺されそうになったとき御使いが現れ、彼を牢獄から助け出しました。ペテロにとっては夢のようなことでした。しかし、現実に彼は救い出されたのです。不可能なことも神は現実になされるのです。私たちも信じなければなりません。
私たちの生活は悲しみや苦しみで終わるのではありません。2節には「笑いで満たされ、喜びの叫びで満たされた」とあります。アブラハムの妻、サラは不妊の女でした。しかし、神様は彼女に子を与えると約束されました。そして約束通り子どもが生まれました。イサクと名前がつけられました。それは「笑い」という意味です。創世記21:6にそのことが出ていますが、神は年老いたサラに喜びと感謝の笑いを与えられたのです。私たちにも必ずその喜びが与えられます。


2,神による回復

4節には祈りのことばが出てきます。「私たちの繁栄を元どおりにしてください」それはおそらく、バビロン補囚からイスラエルの人々が帰り、神殿が新しく建ちエルサレムが復興されたときに祈られたことばであろうと思われます。彼らはかつてのソロモン王のときの栄華を心に思い描いて祈っただろうと思います。
しかし、神様の祝福はそれを遥かに、遡ります。それは創世記の初めです。天地万物を造られたときに、神様は「生めよ増えよ地に満てよ」と言われ、祝福されました。万物は豊かになり、アダム,エバも満ちあふれた中に生活していたのです。もちろん、環境汚染公害も、病気もなかったでしょう。
私たちは、最初の神の祝福に戻らなければならないのです。今どうして、こんな苦しみの中にあるのか。それは罪が原因です。アダム、エバも自分たちは神のようになりたいと、傲慢になり、肉の誘惑に負けサタンの誘いに乗って罪を犯してしまいました。その罪の結果、この世は汚され人間は苦しみを負って生きなければならなくなったのです。
私たちには、アダム以来の自己中心性、自我があります。人を心から愛せない弱さがあります。その苦しみから私たちを救うのは誰でしょうか。イエス・キリストです。イエス・キリストは、私たちの罪、アダム以来の自我の苦しみを、十字架で負って赦して下さる方です。このキリストこそが、私たちの涙を嘆きを、喜びの叫びに変えてくださる方です。
5節に「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう」とありますけれど、涙をもって行うことも、生きることも神様は私たちと共におられて、助けてくださり必ず喜びと感謝を私たちの心に与えて下さいます。
明治の中頃に徳永規矩(とくなが‐もとのり)と言う人がいました。彼は熊本の藩士の子として生まれ、横浜でジェームズ・バラから英語を学び、洗礼を受けました。のち熊本で学校を開校しましたが、結核を患い17年間喀血し極度の貧しさと病の戦いの中にいました。それでも神に対する感謝を忘れませんでした。常に「神様に感謝しよう」が彼の口癖であったようです。そしてついに43歳の若さで、神をあがめつつ召されました。子どもたちには「信仰の生涯」という5文字だけ残す、と遺言したそうです。
その子どもたちの心に蒔かれた種はりっぱに成長しました。長女は女学校の校長に、次女三女四女は牧師夫人に、長男はミッション系の大学の教授に、他の兄弟たちは社会事業に貢献し、叙勲された人もいます。信仰の実は豊かに結ばれるのです。
私たちが、神を信頼することは無駄にはなりません。やがて成長させてくださる神が、豊かに人生の実りを与えて下さるのです。そのことを信じましょう。

                       (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)