柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「恐れからの解放」箴言29章25-26節

台風が来ましたが、守られ感謝です。この世にあっては恐れがあります。しかし、私たちはその恐れに支配される必要はありません。私たちは弱い者ですが、私たちを愛し守って下さる方がおられます。箴言から学びますが、箴言とは格言またことわざといった意味がありますが、聖書の箴言は人の言葉と言うよりも神の言葉であり、私たちの人生に確かな指針を与え天国を目指していくものとなります。


1,なぜ恐れるのか。恐れの原因

まず一つのことは、罪の問題があります。罪とは、真の創造主なる神を信じないと言うことです。なぜなら、この方がすべてのものを造られ、支配されるからです。
天地創造の時、神は万物を造られ、そして最後に人間を想像されました。人間だけ特別なことをされました。それは、ご自身に似たものとして造られたということです。それは、私たちのうちに魂・心があり、神様を礼拝することができるということです。
しかし、私たちは創造主なる神からは離れてしまい、自分の力で生きる者になってしまったのです。いわゆる神を認めない、神を信じないという心です。そのことの故に、創造主なる神が解らなくなってしまったのです。ですから、聖書が言っている罪は、神との断絶です。交わりがなくなってしまった。それ故に、孤独になり、不安になってしまうのです。
そして、罪は悪を行うことです。アダムとエバは、取って食べてはならないと命ぜられた木の実を取って食べました。約束を破りました。規則を破ってしまったのです。ルールを無視すれば、そこにはおられません。アダムとエバは、約束を破った故に、エデンの園を出なければならなかったのです。ですから、罪の結果は何か、苦しみがある、心や魂が痛み、苦痛を味わうことがあります。それは、創世記に、産みの苦しみ労働の苦しみとして記されているのです。
そしてもう一つのことは、罪を犯させる者がいるということです。創世記3章には、ヘビに化けたサタンが出て来ます。サタンは元々天使でした。ところが高ぶり、自分が神になろうとして天から落とされ、この地上にしばらくの間、活動は赦されてもやがて永遠の滅びすなわち地獄に落とされることが定まっています。ですから、サタンの企みは人を神から離れさせ、自分と共に一緒に滅ぼそうとするのがサタンの企み、目的であるのです。
ですから、私たちは、サタンの企みを見破らなければならないのです。そのことのために、私たちは聖書を読みます。聖書は神の霊感によって書かれています。私たちの魂にとって大変有益です。そして、聖霊によって、聖書は私たちに神の言葉となって私たちの心に働き、サタンに勝利することができるのです。


2,恐れから解放される

恐れの原因は、罪にありサタンの罠であることがわかりました。しかし、実際に罪もサタンも目では見えません。しかし、それらのものが働くときがあります。それが、人恐れるそして支配者の顔色をうかがうという言葉に出ています。
私たちがまず畏れなければならないのは人ではなく、すべてを支配されておられる主なる神を畏れると言うことです。支配者の顔色をうかがうことでもありません。バビロン捕囚となったユダヤの三青年は、ネブカデネザル王を恐れませんでした。むしろ神を恐れて偶像を礼拝しませんでした。その結果、彼らは炎の燃えさかる炉に投げ入れられました。ところが、死ななかったのです。それどころか、3人いるはずが4人いるように見えたのです(ダニエル3:25,28)。それは受肉以前のキリストの姿であろうと言われています。
それは私たちに取っては、復活のキリストであり、内住のキリストです。キリストが苦しみの中にあっても共におられ、永遠のいのちをもって私たちに力をあたえ、守って下さいます。


                (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)