皆さんにおたずねします。もし、自分の死亡記事が新聞に書かれるとしたら、どのように書かれると思いますか。自分が死んだ時のことをいろいろと想像してみてください。「私は人々から、どんな人生を歩んだ、と言われるのだろうか?」 今日はこのところから、二つのことをお話しします。一つは、あなたの人生をひと言で言えば、二つ目は、信仰を大切に、であります。
1、あなたの人生をひと言で言えば
列王記、歴代誌には、多くの王様について記録されていますが、どの王様の場合も、必ず記録されていることが一つあります。それは彼らが神に対していかに生きたか、ということであります。その中には、この世的には、聡明な人、有能な人、外国に名の知れ渡った人もいました。しかし聖書は、そのようなことに目もくれず、ただその人が神に対していかに生きたかに注目している。どの王様も、その人生を終えてみれば、わずか一行でまとめられています。(逆に見れば、第2歴代誌36:11,9,5。33:21,1)
天下を取り、名声を全世界にとどろかせても、過ぎ去れば一行をもって片付けられてしまう人生でしかありません。マタイ16:26「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、何の得になろうか」とあるとおりです。
今日の箇所の王様は、未成年で、わずか三か月の治世であったがその責任をきびしく問われています。ヘブル語原典では、8才となっています。第2列王記24:15には妻がいた、とあるので18才の方を採用されました。旧約聖書の時代には、未成年者は、数を数えられませんでした(民数記 1:3など)し、またシナイの荒野でも、責任を問われず死に絶えませんでした(民 14:29)
2、信仰を大切に
私たちの人生も、いろいろな出来事の積み重ねであります。ある人は、この世的には成功し、ある人は挫折します。またある人は、この世的には幸運に恵まれ、ある人は悲運に泣きます。
しかしこのような人生も、過ぎ去れば、また一行をもって片付けられてしまう人生でしかありません。「神も仏もあるものか」と思われる、 不平等に見える世の中で信仰を試されるているのです。
長生きをし、多くの名誉を世間から受けたとしても、神さまの前に立った時、神さまから「あなたのしてきたことを喜ばない」、「あなたは生まれなかった方が良かった」と言われたら、どうしますか。
あなたの人生も短い言葉で、一行にまとめられる。その基準は神に対していかに生きたか、ということです。どうぞ、信仰を大切に。ルカ10:20「天に名が記されていることを喜び」ましょう。
(説教者:湯浅教会 上野和也牧師)