柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「信仰による生涯」 ヘブル11章1-6節

今日は、信仰によって生きることのすばらしさをみことばを通して学びたいと思います。


1,神は信仰を喜ばれる

6節に「信仰がなくては神に喜ばれることはできません」とありますが、まず第一に神に喜ばれることは何かと言うことです。それは信仰であるということです。神が喜ばれるのは行いではなく、心に信じる信仰です。
行いのことをいうなら、お互い完全ではないと思います。失敗もあります。幸いなことに、聖書は「行いが良くなくては、神に喜ばれることはできません」と言っていないのです。神様はまず、私たちが信じることを望んでおられるのです。ですから、逆に言うと悪い行いよりも、不信仰を悲しまれます。ですから、もし悪いことをしたなら、すぐに神様にお詫びをすることです。悔い改めることが肝心です。悔い改めとは、今まで神様に背を向けていたことをお詫びし、神様を信じ従うことです。そうするなら、神は愛の神です。私たちを赦し、幸いを与えて下さいます。


2,信仰は救いの保証である

「信仰は望んでいる事がらを保証し」とありますが、望んでいる事とは何でしょうか。それは文脈から類推するならば、死後の命―永遠の命を意味しています。死後の命、永遠の命が約束されることは私たちにとっては大きなもの、最も価値のあるものです。私たちが一番恐れるのは何でしょうか。昔は地震雷火事親父と言っていましたが、おそらくは自分が死ぬことではないでしょうか。その死に対して、10章39節を見るなら、「恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。」と言っています。それが保証されるのです。だれが保証するでしょうか。それは全能の神です。3節には「この世界が神のことばで造られたことを悟り」とあります。神はことばによってこの世を造られました。創世記1章の天地創造で、光あれと言われたら光が現れ、乾いたところが現れよと言われれば陸地が現れました。神はそのことばによって、すべてのものを造られたのです。ですから私たちは、見えないお方によって、今見えているものがすべて造られたのです。「悟りなさい」と聖書は言っていますが、私たちはそのことを信じなければなりません。神がすべてのものを造られ、神がすべての権威をもって支配しておられる。生きるにも死ぬにも、神の許可なしにはないのです。その神が、私たちに命を保証して下さるのです。


3,神の報いを信じる

4節5節には二人の人が出てきます。一人はアベル、兄のカインと神にささげものをし、兄にねたまれて殺されました。それでも神は彼を義人とし、彼のささげものを受けいられたのです。そして、もう一人エノクは神とともに歩み(創5:24)いなくなった。つまり、死を見ないで天に移されたのです。
 つまり二人とも、この地上の滅びから救われ、永遠の命の祝福にあずかる、天国で新しく生きるものとなったのです。私たちの希望はどこにあるでしょうか。この世のものなのでしょうか。この世のものはやがて朽ち、滅びていきます。しかし、神が私たちに与えて下さる永遠の命と新しい天と地は滅びることがありません。兄に殺されたアベルであれ、神と共に歩んだエノクであれ、同じ天国に生きる者とされたのです。永遠の命の報い、すなわち救いの恵はどんな人にも神を信じるものに与えられます。
6節のところで、信じなければならない。とあります。それは神の命令です。信じても良いし、信じなくても良いと言うことではないのです。必ず信じなければなりません。
ヨハネ福音書11章で、あのラザロが死んだとき、主は姉のマルタに、「私はよみがえりであり命である、わたしを信じるものは、たとえ死んでも生きる、あなたはこれを信じるか」と言われ、さらに、「もし、信じるなら神の栄光を見るとあなたに言ったではないか」といわれました。そして、墓に葬られたラザロに向かって「ラザロよ出てきなさい」と命ぜられました。驚くことに、ラザロは出てきたのです。あのガリラヤの波風を静められた主イエスは、死んだラザロをも生き返らされたのです。生殺与奪の権イエス・キリストにあります。キリストこそ全能の神救い主です。イエス・キリストを信じ、キリストによってすべてが満たされる信仰の生涯を全うしたいものです。


                         (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)