柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の前に生きる」 使徒5章1-14節

先週は台風が2年ぶりで上陸しました。大阪のほうには大きな被害が出ませんでしたが、私たちはどんな時にも、備えをすることは大切であると思います。今日の聖書の箇所も、神様は私たちに注意しなさい、災いが起きないようにと警告されておられることを思います。
アナニヤとサッピラの夫婦がお金を偽って、死んでしまったと言うことですが、このことから「神の前に生きる」ことの大切さを教えられます。


1,偽善に対する警告

アナニヤとサッピラは自分たちの持っている土地を売って、使徒たちすなわちイエス様の弟子たちのところに持ってきました。それは、その当時イエス・キリストを信じた人たちが心を一つにして、持ち物を共有していた(使徒4:32)ということがあったからです。
アナニヤとサッピラも神を信じ、その中に加わっていたのですが、なんと彼らは代金の一部を残して、使徒たちのところに来て「土地を売ったお金です」と言って差し出しました。人間的にはそんなに悪いことではないと思います。決して彼らは犯罪を犯したのでもありません。
ではなぜ死ななければならなかったのでしょうか。それは神を欺くことでした。人をだます以上に、神に嘘をつく、神に対して偽りを行ったことに問題があったのです。3節には、「サタンに心奪われて、聖霊を欺いて」とペテロは言っています。聖書に出てくる聖霊は神です。彼らは、人に嘘をついただけではなく、神を欺くことをしたのです。
神と人とどちらに力があるか。もちろん、天地万物を造られた神に力があります。私たち人間は、神によって造られたものです。万物を造られた神に、まさることはできません。そして、イエス・キリストを信じて救われた人たちは生きる力が与えられていました。それは使徒4章33節に出てくるのですが、イエス・キリストの復活の力と、神からの大きな恵によって彼らは生かされていたのです。そして、何よりも彼らはそれを信じて生きていました。21世紀に生きる私たちにも同じです。私たちもまた、キリストの復活の力と神の大いなる恵によって生かされるのだという自覚、信仰を持ちたいものです。
しかし、残念ながらアナニヤとサッピラには、その信仰が欠けていたのです。そしてそれは、サタンがつけ込む隙となってしまったのです。昔、共産主義がもてはやされていた時代がありました。しかし今はどうでしょうか。中国と北朝鮮だけです。歴史学者のA・トインビーは、「共産主義は間違いを犯したのではなく見のがした」、と言ったそうです。何を見のがしたのか、人間のエゴイズム・利己主義を見のがしたのです。ですから、たとえ共産主義になったとしても人間は幸せになれません。自分は得をしたい、人よりもよい生活がしたいという自己中心から救われなければならないのです。そして、アナニヤとサッピラも、心の中にその欲が働いたのです。それはサタンのワナでした。あのエデンの園のアダムとエバも同じでした。サタンにだまされて、自分も神のようになりたい、その欲望につけ込まれて、罪を犯し、神から離れて行ってしまったのです。私たちもそのところを注意しなければなりません。


2,神の裁きと救いの御業

アナニヤとサッピラは、代金をごまかしましたが、神はごまかされませんでした。ペテロを通して「人を欺いたのではなく神を欺いたのだ」とその罪を指摘されたのです。「これは、代金の全部でありません」と正直に言ったらよかったのです。おそらくそうしていたら死ぬことはなかったと思います。しかし、人間はなかなか正直になれません。自分の罪をごまかすために嘘を言い、その嘘を言い訳するために嘘の上塗りをしてしまうことがあります。その行き着く先は滅びです。「罪の支払う報酬は死です」(ローマ6:23)と聖書は言っています。そしてアナニヤは息絶えて死にました。後に来たサッピラも同じように嘘をついて死にました。神は欺かれるような方ではありません。私たちの罪をも見逃しにはされないのです。
アナニヤとサッピラの死の事実を見て人々はどうなったのか。「非常な恐れが生じた」(5,11節)とあります。彼らは神を畏れ、神をあがめたのです。本来、神は畏れられるべきお方です。私たちは神の御前に恐れ、かしこむべきものです。
このことを通して、人々は神を畏れました。そしてもう一度悔い改めて、神の御前に心一つとなって出ることができたのです。そしてそこには、神の御業の大きな働きが成されたのです。
そこには、聖霊が働かれて癒しの業や悪霊が追い出される奇跡の御業が成されたでしょう(12節)。そして他の人たちは使徒たちを尊敬し、イエス・キリストを信じる人たちも大勢起こされたのです(13,14節)。神を畏れ敬うところに、神の御業はなされるのです。
私たちはもう一度、自分自身が神を欺いていないか、隠された罪はないか点検させていただきたいと思います。あるならば悔い改め、神のあわれみをいただいて、神の元に立ち返りたいと思います。イエス・キリストは私たちのすべての罪を身に負い、十字架で赦して下さいました。十字架によって赦されない罪はありません。すべての重荷を下ろし、心を明け渡してキリストの救いを信じたいと思います。神様は必ず救いの御業を成し遂げて下さいます。


                           (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)