柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「見えるようになれ」 黙示録3章14-22節

今日は黙示録、聖書の最後の書巻から話をいたします。黙示録はイエス様の弟子、ヨハネが書いたといわれています。彼は伝説によれば、捕らえられ油の煮えたぎる釜に入れられました。それでも死なずにいるのを、ローマの兵隊はそれを見て恐れ彼を引き上げ、エーゲ海にある島パトモスに流したと言われています。
彼はそこで神様から、これから起こるべき事を示され書いたのが黙示録です。聖書の預言の大半は成されたのですが、この黙示録はこれから後起こることが記されています。今日読んだところはラオデキアの教会のことが出ています。ラオデキアは地名で、小アジア今のトルコにあった教会です。その名前は王の后から名前が取られていますが、ギリシャ語でラオスとデクトスの合わさった名前と言われています。ラオスとは民衆デクトスは喜ばせる・機嫌を取るという意味があります。人を喜ばせる、ラオデキアはまさにそんなところでした。
そこにもイエス・キリストの救いが伝えられ、教会が誕生しました。ラオデキアの教会は今現在の教会を象徴しているといわれています。そのもっともたる言葉は16節に出ています。「なまぬるい」と、私たちはどうでしょうか。そのまま当てはまっているのではないでしょうか。信仰が熱くもなく、冷たくもない、そんな状態です。今の日本の教会もそのような状態ではないかと思います。どうすれば、なまぬるい状態から脱却することができルでしょうか。


1,自己の真相を知る

熱くもなく、冷たくもないとはどういう事かというと、それは自己満足です。ああ、自分はこれで良いんだ。だいじょうぶだという思いです。17節に、「富んでいる。豊かになった。乏しいものはなにもない。」と言っている。本当にそうかと言うと、神の目から見るならそうではないのです。むしろ、「みじめであわれ、貧しくて、盲目、裸のものである。」と言われています。
日本は物質的には恵まれています。しかし、精神的霊的には貧困であると思います。自殺者が年間3万人以上、先進国では非常に高い数字です。それだけ、精神的に追い詰められ、苦しい、また霊的にはむなしいそんな状態です。私たちはキリストの救いを伝えなければなりません。


2,キリストの忠告

神様は私たちをしかられますが、それは愛するがゆえです。三つのものを求めよといわれます。
(1)火で精錬された金
それは、迫害をくぐり抜けて勝利を得た信仰を意味しています。純粋な信仰です。金も溶かす温度が低いと不純物が混じった金になります。信仰も同じです。試練を通して、信仰が錬られ純粋なものとなります。
(2)白い衣
ここでの裸の恥とは、生まれながらの人間の肉性を意味しています。すなわちガラテヤ5:19〜20に出てくるものです。肉の欲が働くと、神の国の恵を嗣ぐことができなくなります。私たちは、心が聖められなければならないのです。何が私たちの肉の性質を聖めるのか、それは十字架の血潮です。イエス・キリストの十字架の血潮が私たちの肉の汚れを聖め、罪を洗い流し、真っ白にするのです(?ヨハネ1:7)。私たちはその白い衣を身につけなければならないのです。
(3)目薬
私たちは霊の目が開かれ、霊的な世界が見えなければなりません。すなわち、この世の造られたものだけに目を向けるのではなく、見えないものに目を注ぐことです。すべてを造られた全能の神に目を向けることです。ヨハネもまた霊の目が開かれ、真実を見ることができました。
私たちも魂の霊の目が開かれ、永遠を見るものでありたいと思います。その目薬とは何でしょうか。それは聖霊です。聖霊が私たちの心の内に働かれるとき、御言葉を悟らせ、教えて下さいます。私たちは何よりも心を静め、神の前に、御言葉を通して、御心を求めたいと思います。その中に聖霊は働かれ、私たちに示され、霊のものを見極める力を与えて下さいます。


3,キリストを心の王座に迎える

神様は、私たちをしかったり懲らしめられたりします。それは、私たちが悔い改め、恵を回復し、霊的に豊かになることを願っておられるからです。
私たちは、知らないうちに自分の心からキリストを心から閉め出してはいないでしょうか。いったい何が私たちの心の王座にあるでしょうか。それが私たちを祝福し、真の喜びを与えるものでしょうか。それはキリスト以外にありません。
もう一度私たちは、悔い改め、キリストを自分の心の王座に迎え、そして豊かな交わりを与えていただき、やがて永遠の御国すなわち天国でキリストと共なる勝利を得させていただきたいと思います。


                         (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)