柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「永遠の命を得るために」ルカの福音書10章25-37節

ここには有名な善きサマリヤ人の話が出てきます。それはイエス様が“永遠の命を得るためにはどうすれば良いか”ということに、答えるためでした。

永遠の命は、洋の東西を問わず、今も昔も人間が追い求めているものです。永遠の命をどのようにして得られるのか、誰もが興味を持つところです。


1,永遠の命とは

どのようにして、永遠の命が得られるかを考える前に、永遠の命とは何かを知らなければなりません。聖書でいう永遠の命は、この世に永遠に生きることではありません。むしろ、死んでから後、天地創造の神が、この世の世界と全く別に新しく造られた所に永遠に生きると言う意味です。簡単に言えば天国で生きる。それが永遠の命です。ですから、永遠の命をいただいても、私たちの肉体はやがて朽ちて行きます。しかし、魂は朽ちることなく、天国で生きるものとなります。そして私たちの体も、死から復活されたキリストと同じ姿に変えられます。栄光の体となり、朽ちることもしぼむこともないものに変えられるのです。そして悩みや苦しみ悲しみも天国にはありません。神ご自身が太陽となって私たちを輝かせて下さるからです。その天国に入るために、私たちは永遠の命を貰わなければならないのです。
その命はどうやって手に入れることができるでしょうか。


2,行いでは永遠の命は得られない

エス様は“律法には何と書いてあるか”と一つの質問をされました。律法とは十戒のことです。律法の専門家は「主を愛することです。隣り人を愛することです。」と模範的な答えをしました。するとイエス様はそれを実行しなさい。そうすればいのちを得ると言われました。しかし律法学者は、日常の生活の中で、愛せる人と愛せない人がいる。そんな自分を弁護するために、自分の隣り人とはだれかと尋ねました。
それに答えるため、主はサマリヤ人の話をされました。ここには三種類の人間がいます。強盗に襲われた旅人。祭司とレビ人そしてサマリヤ人。祭司とレビ人は神殿で奉仕する、立派な人たちでした。サマリヤ人はユダヤ人とは中が悪く、ユダヤ人はサマリヤ人を見下していました。どんなことがあっても、サマリヤ人には助けて貰いたくないし、サマリヤ人を助けたくもないといった感情があったのです。
旅人が半殺しの目に遭った時助けてくれたのは、祭司でもなければレビ人でもありませんでした。サマリヤ人が助けてくれたのです。祭司もレビ人も余計なトラブルに巻き込まれたくない、と思ったのでしょう。それは律法の専門家でも同じであり、私たちにも自分に関係ないことは、余計なことはしないでおこうという気持ちがあるのではないでしょうか。
 だれが隣り人となったか。憐れみを掛けてやった人です、と律法の専門家は答えました。イエス様はあなたも行って同じようにしなさい、といわれました。自分が憎く思っている人を助けることは簡単でしょうか。


3,神の救い

実は私たちは、善きサマリヤ人でもなければ、祭司・レビ人でもありません。私たちの姿は半殺しにされた旅人なのです。
私たちの真相はまさに、死にゆくあの旅人と何ら変わりのない、弱い無力な存在です。
誰が助けてくれるのか、善きサマリヤ人とはだでしょう。それはイエス・キリストです。私たちがこの世に浮かれ、神から離れ、その途中に思いがけない災難に遭う。人はただ見過ごしにするしかない。しかし、キリストは憐れんで下さり、私たちに近づいて下さるのです。肉体の傷は薬で癒すことができても、魂の傷はどうして癒すことができるでしょうか。34節オリーブ油とぶどう酒とありますが、オリーブ油は聖霊、ぶどう酒はキリストの十字架の血潮を象徴していると言われます。私たちの心を慰めるのは聖霊であり、私たちの魂の傷をいやすのは十字架の血潮です。
私たちの心の傷を癒されるのは、自ら十字架の上に釘付けされ、血を流されたイエス・キリストご自身です。宿屋に連れて行く。宿屋は、体を休めるところであり、また情報を得るところでもありました。それはまた教会の姿です。教会は魂の休み場所であり、この世の旅をするために必要な情報を得るところでもあるのです。宿屋の泊まる費用も善きサマリヤ人である、イエス・キリストが支払って下さる。それどころか、もっとかかったら、帰りに払いますと言われるのです。私たちが、罪を犯し、もっと失敗したとしても、さらに払うと言って下さっておられます。「帰りに払う」、キリストはもう一度再び、この地上に来られます。もし、私たちが信じ、お願いするなら、私たちを背負ってでも助けて下さり、いやしてくださる方です。
天国に入るために、永遠の命を得るためには、私たちが善きサマリヤ人になる必要はありません。イエス・キリストが善きサマリヤ人であり、私たちが傷ついた旅人であることを認めることです。そしてこのお方に助けていただくことです。

それが永遠の命を得る方法です。


                           (説教者:柏原教会牧師 西本耕一)