柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「あと一歩でキリスト者」使徒の働き10章1-8節、34-48節

 本章からは、福音宣教の新しい展開が見られます。神の不思議な導きによってユダヤ人から異邦人へと福音の扉が開かれ、教会に加えられていきました。コルネリオとペテロの出会いを通してコルネリオの回心記が、異例ともいうべき長いスペ―スで語られています。

1.欠けに気づかされる  1〜8節
 ロ―マ軍の百人隊長コルネリオの敬虔さには、目を見張るものがあります。彼はどこかで真の神を知ったので、その敬虔さは全家族だけでなく配下の者にまで影響を及ぼし、施しと祈りに生きる人でした(2、7節)。言うならば、模範的な生き方をし、その信仰的実践たるやユダヤ人の平均レベルを抜いていました(4節)。
 しかし、『・・・いたが』は軽く見逃せません(2節)。コルネリオは、自分の信仰には何か根本的に欠けているものがあることを、薄々気づいていたのです。ですから、御使いの告知に接したとき、コルネリオは従順と謙遜と熱心な求めの姿勢をもって受け入れました(4〜8節)。使者を遣わす時の行き届いた配慮(7〜8節)、ペテロを迎えた態度やペテロが来るかどうか確約は得ていないのに人を集めて待ったこと(24〜25節)などに現れています。この後すぐに、キリストの福音を聴き、信じ受け入れ「欠け」は満たされたのです。
 神に創造の冠として造られた人間は、神によってしか埋め合わすことのできない空洞を持っているのです。

2.聖霊による新生にあずかる  34〜48節
 全てを導かれる神は、幻を通して、ご自身の計画を推し進めるためにコルネリオとペテロを引き合わせなさいました。それを受け止めたコルネリオは、ペテロの前に出ているのですが、『みな神の前に出ております』(33節)との姿勢をもってペテロの説教に聴き入るのでした。
 ペテロは厳かに、福音の重要さを覚えて語り出しています(34節)。ユダヤ人であろうが異邦人であろうが、神は偏り見ることのない公平なお方であり、その具体的な成就として『すべての人の主である』イエス・キリストを遣わされ、このお方が神の福音を宣べ伝えられたのでした(34〜37節)。このお方こそ旧約に預言された救い主であり、十字架と復活において『罪の赦しが受けられる』救いの道を、キリストを信じる者に開いてくださったのです。
 そのペテロの説教がまだ終わらないうちに、コルネリオとその仲間の者に『聖霊がお下りになった』のです。そして、ペンテコステの時のように、外に現れるしるしとしての聖霊の賜物が注がれているのを、ペテロたちは認めざるをえなかったのです(44〜46節)。これは、バプテスマを受けることに何ら支障のない事実でしたので、そのとおりに執行されました(47〜48節)。
 クリスチャンは客観的かつ知的な信仰の土台を確立することに心を用いることが大切です。しかし同時に、そうした知るということ以上に、キリストご自身とその救いの福音を主体的に個人的に受け入れるという「霊的体験」を聖霊によってさせていただくことが重要です。その意味で、「あと一歩でキリスト者」ということはないでしょうか。コルネリオ同様に、聖霊によって新しく生まれ変わらせていただき、キリストに結び合わされている喜びに生きる者にされましょう!

                  (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)