柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主が共におられるので」 ヨシュア記1章1-9節

 モ−セの従者ヨシュアは、神の民に約束の地を与えるという神の働きに邁進しました。その約束のものは、信仰によって得ていくのであり、そのためには戦いがあり、それに対しても信仰によって勝利していくことを語っています。そんな彼の偉大さの秘密は、ひとえに『あなたとともにある』(5節、9節)との約束でした。

Ⅰ.主なる神の約束
 私たちは、恐れや、思い煩いに捕らわれやすいものです。そんな私たちに、「がんばれ」「前に進め」と活を入れられる神ではありません。私たちを『強くあれ、雄々しくあれ』(6節、7節、9節)と励まされるのは、主なる神が共においでくださる、一緒に行ってくださることが根拠なのです。この事実は、私たち人間の側から発見したことでも、願ったことでもありません。主なる神の方からの約束であり、主体は神ご自身です。
 ヨシュア自身も、これを自分で発見したのではなく、受け継いだ恵みでした。『モ−セとともにいたように』(5節)と、神はヨシュアに気づかせておられます。「ように」とは「イコ−ル」であり、すばらしい約束です。出エジプトを経験し、イスラエルがアマレクと戦った時以来(出エジプト17章9節)、いつもモ−セのそばにいたヨシュアでした。会見の天幕を夜間守る務めをしている際にも、モ−セの祈りと神の約束を聞き(同33章11〜15節)、モ−セが味わった苦悩・勝利・重荷・嘆きを見ていました。そのことをヨシュア自身が身にしみて体験したのは、カデシュにおいてであり(民数記14章9節)、モ−セの側近くいて、モ−セと共におられる主を見るようになったのでした。
 ところで、主なる神が私たちと共にいてくださることが出来ないことが一つあります。それは、私たちの咎と罪です(イザヤ59章1〜2節)。その罪を赦し、罪なき者とするために十字架の贖いの死をイエス・キリストは成し遂げてくださったのです。

Ⅱ.勝利の約束
 共にいてくださる神に対して、私たちが取る姿勢は、『あなたがたが足の裏で踏む』ことです(3節)。信仰によって踏み出すことです。そうすることによって、神が与えてくださる恵み・祝福を自らのものとすることができるのです(2〜6節)。踏んだだけ自分のものとするのであり、一人ひとりが一歩前進して踏み締めることによって分かる世界です。イエス・キリストの十字架と復活による永遠の救いに対して、分かっただけでなくして、信仰によって踏み出すことが大切です。
 主なる神が共にいてくださるという事実は、何も神秘的なこと、観念的なことではありません。それを確かにされるのは、神のみことばに従うことによってです(7〜8節)。聖書を通して、神が私に語っておられる、神のみことばに聴き従っていく、みことばによってコントロ−ルされていくなら、神の恵みが鮮やかとなり、神が生きて働いておられることを体験するのです。
 主イエス・キリストを信じる生涯に、順境もあり、逆境もあります。絶えずうまく行っているとか、それらが解決するとかということでなく、いかなる時も、どこにおいても、試練のただ中でも『あなたとともにある』との人生ほど、確かなことはありません。
 どなたがご一緒かを知る、そして体験する幸いを!

                 (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)