柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「ラハブの救い」ヨシュア2章18-21節

ヨシュア記と言えば、エリコの城が落とされることを思い出す人も多いと思います。神様は、モーセに続いてヨシュアを立てられ、当時、難攻不落と言われた城塞都市エリコを信仰によって崩壊させました。いわば信仰の勝利を見ることが出来るのですが、もう一つ忘れてならないのは、ラハブとその家族が救われたことです。それは私たちにとっても、有益な教えです。

1,ラハブの救い
 ラハブは信仰にのみによって救われました。彼女は救われる価値のある素晴らしい人だったのでしょうか。1節には「ラハブという名の遊女」とあります。決して品行方正な女性とは思われません。そのようなことを生業として生きていた人です。立派な生き方ではなかったのです。
 ところが、イスラエル人がエジプトからカナンの地に来て、二人の王を滅ぼしてしまったことを聞いたのです。エリコの住民は恐れました。しかし彼女は違いました。滅びを恐れるのではなく、全能の神を恐れたのです(11節)。救いにおいて大事なことは、恐れです。恐れの心が生じるときに、自分は何に頼らなければならないか、解ってくるのです。そして何を頼りとするのかが問題です。
 ラハブは遊郭のような宿屋で働く人でした。色んな人が出入りしていたでしょう。その中に、イスラエル人たちのエジプト脱出、そしてカナンの地に入ることも聞いた可能性があります。
 何よりも彼女の信仰です。真の神を恐れるその心があり、その思いが彼女を、否、一族郎党を救う結果となったのです。

2,神のあわれみ
 彼女は、客としてやってきたイスラエルのスパイをかくまいました。それどころか、彼らが逃げて帰るのを手助けしたのです。それがわかったなら、彼女もその家族も皆殺しになったでしょう。それは命がけのことでした。しかし、彼女は、いのちが助かりたい、救われたい、そのことを願い信じ、命がけで二人のスパイを逃がしたのです。
 その時、スパイたちは2つのことを命令しました。一つは、窓に赤いひもを結びつけておくことです。これが救いの目印となることです。そして、もう一つは、家族全部を家の中に集めて、絶対に外に出ないことでした。
 赤いひもには、一つの意味があるかと思います。それはイエス・キリストの十字架の血潮のしるしです。出エジプトのときも、エジプトの初子が殺されるとき、イスラエルの家の柱と鴨居に子羊の血をとって塗るように命じられました。死の災いはその血によって過ぎていったのです。それが過越の意味であり、十字架につながって行くのです。ですから、赤いひもがぶら下がっているところは攻めない。むしろ命がけで救出する。それが約束でした。
 家族全員がその家に避難する。それはノアの箱船を連想させます。ノア一人の信仰によって、家族も救われました。そして使徒16章31節に「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます」と神様は、私たちにも約束を与えて下さいます。

3,ラハブの信仰
 二人のスパイが約束したときに、彼女はどうしたでしょうか。「おことばどおりにいたしましょう」と応えたのです。それが彼女の信仰でした。彼女はイスラエル人でもなければ、エリコの卑しい者であったのですが、ただ信仰によって決心し、スパイを逃がし、赤いひもを窓からぶら下げたのです。それは命がけのことであっただろうと思います。
 受胎告知のときもマリヤは、「私は主のはしためです。おことばどおりこの身になりますように」と従いました。同じ心であったと思います。彼女から救い主が生まれ、そしてなりより、ラハブは、イスラエルの加えられるどころか、王の家系に加えられダビデ王の先祖となり、やがては救い主キリストの誕生に関わる者となったのです。これ以上の栄誉はありません。
 私たちも信仰により、救いにあずかるとともに、やがて神の国の栄光を見ることが出来るのです。


(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)