柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「喜びの拡大を」  使徒行伝8章1-8節

 『大変なよろこびかたであった』(8節)とありますが、教会誕生後の初代教会のここに至るまでは、決して平坦な歩みではありませんでした。キリストの十字架と復活が宣証された結果、福音のみわざがなされました。それによって、批判・酷評・告訴を受けた教会でしたが、それらに勝利したことにより、教会に『大きなめぐみ』が注がれました(4章33節)。その後、アナニャとサッピラ夫妻の三位の神への欺き・偽善に対する神の審きに対して、教会全体に、真実な神の前に『非常なおそれ』が生まれました(5章11節)。そして、迫害で散らされた先々でキリストが宣証され、サマリャの町全体に大きな喜びが起こったのでした。
 憂いや憤りの横行する今日にも、イエス・キリストの十字架と復活の救いがもたらす「永遠の喜び」は、何をもってしても奪うことはできないし、どのような状況下でも失われることがありません。そして、その喜びは水が波紋を起こすように溢れ拡がっていくのです。どのようにしてでしょうか。

Ⅰ.試練を通して  1〜4節
 ステパノの殉教の死は、初代教会に大きな転機をもたらしました。それまでペテロやヨハネたち使徒に対して向けられていた迫害は、『教会に対して大迫害』が起こったからです。死を前にしたステパノの言動は、単に個人的なものでなくて、教会全体の証しであることをユダヤの指導者たちは知ったからでしょう。その急先鋒としてサウロがキリスト教会撲滅運動に乗り出しています。その結果、使徒を除いて聖徒たちが『散らされて行った』のです。それは、ステパノの死を『非常に悲しんだ』聖徒たちにとって、容赦のない試練でした。
 しかし、生ける神はいつまでも試練を試練のままで終わらせることはなさらないのです。それを逆手にとるかのようにして、喜びの福音の前進に役立たせられるのです。これ以後のキリストの宣証における中心人物として後日登場するパウロが、キリストの福音に捕らえられる伏線がここに敷かれています(22章20節)。ここでは誤った神への熱心でしたが、彼の回心によって、神はその熱心を世界宣教へのエネルギ−変えられたのです(9章)。
 福音の喜びがもたらす神の創造的なわざは、いかなる状況下であっても、それを価値あるものとされるのです。

Ⅱ.恵みの器を用いて  4〜7節
 さらに、宣教のエリヤが一気に拡大しました。迫害のゆえにエルサレムにいられなくなったギリシャ語を使う聖徒たちによって、『御言を宣べ伝えながら、めぐり歩いた』とあります。彼らが散らされた地域は、ギリシャ語を使う地であったことからして、福音を宣証するのに最もふさわしい者たちでした。迫害の中の快挙であり、神の深い摂理と言うほかありません。
 彼らは『使徒たち以外の者』とあるように、言わば信仰の指導を受けていた人々でした。そして、サマリャに大きな喜びが起こったのは、使徒たちの指導による結果ではなく、使徒以外の者の一人であるピリポを通してでした。教会に対して起きた激しい迫害は、むしろ信徒活動に拍車をかける結果となりました。「使徒行伝」となっていますが、同時に無数の「信徒の働き」を見逃してはならないでしょう。関わることのできる領域・地域・関係筋において、散らされている信徒一人ひとりが、その場を神から遣わされている恵みの場とする時に、神は用いてくださるのです。
 『非常に悲しんだ』ことに勝る、それを覆い尽くすほどの『大変なよろこびかたであった』とは!
復活の主イエス・キリストが近づかれて、恐れをなしている弟子たちに語られたことを通して、『弟子たちは主を見て喜んだ』(ヨハネ20章19〜23節)のでした。復活の主によって喜びに溢れた主の弟子の群たれ!

                 (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)