柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「実のある人生を」エゼキエル書47章12節、詩篇1篇3節

 聖書は、幸いな人のことを『木』にとえています。その木には『水』が必要です。当たり前のことですが、しかし、このことを忘れると実がならないどころか、葉を枯らしてしまいます。
 「20世紀は石油が問題で、21世紀は水が問題になる」と識者は指摘します。「水」は、鳥も草も木も私たちも、生きていく上で欠かせないものです。まさに「いのちの水」が流れる所では、すべてのものが生きるのです。何よりも「神のいのちの水」は、渇いている者をいやし、迷える者を救いに導いて生かし、豊かな実を結ばせるのです。

Ⅰ.いかなる時も実を結ぶ  エゼキエル書47章12節
 『その葉は枯れず、その実は絶えず、月ごとに新しい実がなる』とあります。
「月ごと」とは、とても実を結びそうもない真冬の中でもということですから、ここでは主なる神の特別な祝福にあずかる、ということです。
 続いて、『これはその水が聖所から流れ出るからである』とあります。エルサレムの神殿の前に立ったエゼキエルは、その敷居の下から一筋の流れが溢れ出しているのを見ました。その細い流れは東の方向へ流れ出し、終には泳げるほど、渡り得ないほどの川となりました(1〜6節)。そして、その川が死海に流れ込み、何一つ生物の存在しない死海の水が生命を宿す水へと変えられていったのです(7〜12節)。さながら、不毛と死の支配する茫漠たる光景が、活気に満ちた、生命を生み出す世界に変えられているのです。
 「聖所」とは何でしょうか。礼拝をささげるところです。私たちの礼拝の中心は、イエス・キリストの十字架と復活であり、そこから流れ出る神のいのちがなせるみわざが、いかなる時にも実を結ばせるのです。
 そして、『その実は食用に供せられ、その葉は薬となる』とあります。それらが誰かの益となり、誰かの喜びとなり、誰かを生かすことになるのです。たった一度の人生。こんな生き方がしたいと願うのですが!

Ⅱ.流れのほとりで実を結ぶ  詩篇1篇3節
 聖書は、「あなたがたは実を結びなさい」と命じてはいません。むしろ「自分では実を結べません」と語っています。では、実を結ぶ秘訣は? 『流れのほとりに植えられた木』とはあります。それは、流れのほとりに自然に生えて、もとあった木ではありません。移植された木であり、灼熱の太陽のもとで水が補給されるので枯れることはないのです。
 それはちょうど、神のいのちを持たないでいた者が、神の恵みにより、神の世界に移されて生きる者とされたことを語っています。もともと私たちは、いのちの源である神のところに来ることはできない者です。イエス・キリストの十字架と復活の事実のもとに招き引き寄せられ、このお方を信じ信頼して生きる者なのです。また、神のみことばに土台して生きる生活をする者なのです。
 私たちは、神が働いておられるところに加わればよいのです。

                (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)