柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「来なさい」 マタイによる福音書11章28-30節

 多くの宗教は、「行って---しなさい」と言いますが、聖書は「来なさい」と語っています。確かに、イエス・キリストの中心的なメッセ−ジとして知られている本日の聖書箇所にあるように、主イエス様は、『わたしのもとにきなさい』、『わたしに学びなさい』と招いておられます。


Ⅰ.来て、人生の重荷を下ろしなさい

 人生には、様々な重荷があります。健康上の重荷、経済的な重荷、人間関係のしがらみからくる重荷。また、誰にも言えない、分かってもらえない心の悩み---。「生きることは苦しむこと」という本が店頭に並んでいたことを思い起こします。この人生の重荷のもとで、心に疲れを覚えない人があり得ましょうか。
 しかし、人生の重荷の最大のもので、誰しもが持っている重荷、そして案外と気づいていないのですが、それは罪と死の重荷です。今どんなに喜び踊っていても、罪に汚れた心が、永遠のさばきのことを考えると安らかではありません。聖書に、『罪の支払う報酬は死である』(ロ−マ人への手紙6章23節)とありますが、無視できない現実です。そればかりか、全ての人の上にのしかかっている「死の宿命」、どんなにしてもやがて死ぬ、そして死んだらどうなるのか、を考えると、それこそ深刻にならざるを得ません。
 ところがです。神が人となられたイエス・キリストがこの世に来てくださり、十字架上で成し遂げてくださったこと、それこそ私たちの罪を赦し、さばきから救い、永遠のいのちを与えてくださったことなのです。主イエスは、私たち一人ひとりに「さあ、その重荷を持ったままで、私の所に来なさい。そして、私の前に下ろしなさい。そうすれば、安んじることができるのです」と招いておられます。


Ⅱ.来て、私に学びなさい

 罪赦されて、永遠のいのちを持つ人には希望があります。最後の勝利と栄光があります。しかし、神は私たちをなおこの地上の浮世に過ごさせなさいます。愛憎の渦、苦しみ、困難、矛盾に満ちた世を歩ませなさいます。それには尊いご目的、誤りのないご計画があるのです。
 そんな中にあって、この世をこれからどのように歩んでいくのかは不明な点が多くても、確かなことは、どなたが一緒に歩んでくださるかを知っていることです。十字架の死からよみがえられたイエス・キリストと一緒に、たましいに安らぎをいただいてこの世を歩むのです。「さあ、私の所に来て、この私と同じくびきを負って私と一緒に歩んでごらん。苦しみすら喜びに変わるのです。たましいに安らぎが働くのです。そのことを学んでいくのです」と招いておられます。
 私の長男が二歳のときでした。二段ベッドの上から飛び降りようとしました。「一、二」とまでは言っても「三」が出ません。幼子にとって相当の高さで、怖いのです。「飛び降りてごらん、お父さんがつかまえてあげる」。何度もこのやりとりをしました。そして、とうとう私の腕に飛び込んできました。味をしめた子どもは何度も繰り返したことでした。
 生けるイエス・キリストは、「さあ、飛び込んで来なさい」と招いておられるのです。飛び込んでくるまで、イエス・キリストがどんなに愛と恵みに富んでおられる救いの神であるかは、分かりません。この神の愛の懐に、そのままで飛び込むという信仰が、あなたの人生を変えるのです。


                 (説教者:柏原教会牧師 川原崎晃)