柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「愛の広さ」 マルコによる福音書9章38〜41節

 今日の私たちの信仰の歩みにおいて、聖(きよ)さを包み込んでしまう「愛の広さ」が問われています。それは、どうした中に育まれるでしょうか。


Ⅰ.キリストの側に立っているなら 38〜40節

 『わたしの名のゆえに受け入れる者は』(37節)とのイエスの言われたことを聞いていたヨハネは、『あなたの名を使って・・・その人はわたしたちについてこなかったので、やめさせました』と、得意げに報告しました。この報告は、単に自分たちの仲間でないからという誤った仲間意識、偏狭で独善的な分派心から出たものでしたので、神の国の妨げになるものでした。
 それに対して主イエスは、「そんなに大きな声でいきりたつことはない。あの人たちは私の名で力あるわざを行っているではないか、たとい直接私の弟子にならなくても、私の名を慕い、私の名を用いる者は、私たちの味方ではないか」と、穏やかな声で語られたと想像できます。ここに、私たちか失いかけている、キリストの名によってなされているという動機を見る広い心、それを受け入れる大胆な姿勢を、主イエスは教えていてくださるのです。
 私たちは、自分を吟味するとき、自分は本当に主イエス・キリストの側に立ち、主を愛しているか、それが確かでないなら、逆らっているのではないかと問うことが必要です。絶えず、キリストの側に立つ者の愛と謙遜が欲しいものです。


Ⅱ.キリストの心をもっているなら 41節
 キリストの名のゆえに人々から主の弟子たちに寄せられた親切と愛の行為には、それがどんなにささやかに見えることであっても、神からのすばらしい祝福(報酬ではなくて褒章)が約束されています。実に神の国においては、事の大小は問題ではなく、「キリストの名のために」なされたかが大きな意味を持つのです。キリストがお持ちであった、広い愛の心で神の国に接することが強調されているのです。
 主イエスの広い愛の心は、私たち一人ひとりにまで届けられた十字架の愛に現されています。その恵みに生きる私たちは、自己保身的になって、私たちの教会内の交わりで完結してはならないのです。その恵みと祝福が回りの人を巻き込んでいくことです。自分たちを憎む者に対する愛にまで広がっていく、実に逞しい愛なのです。
 しかし、時に切実な現実の問題として、教会だけの愛は偏狭で自己中心だと言って批判し、他者への愛の行動について敏感な反応を示しながら、案外教会の中だけでも愛に生きることができないでいるとするなら、真に他者に仕えることもできないのです。教会の外にも広がる愛を教会の間で練習していると言えるのではないでしょうか。

 私たちは互いに、そうした温かい愛の広さを作りあげていく教会でありたいものです!
                      (説教:柏原教会牧師 川原崎晃)