主イエスの十字架を見上げ、復活を信じていくとき、聖霊は復活の命を私どもに働かせて、その新しい命をもって全存在に生きてくださることを経験していきます。
Ⅰ.主の平安と喜びに支配される 19〜20節
主イエスは死んで葬られ、墓は封印され、そこから復活されました。主を閉じ込めていた封印は完全に解かれたのです。今も悪魔は、私どもの心から平安・喜び・希望・勇気を取り去り、これを閉じ込め、封印しています。そこには、悲しみ・恐れ・疑い・失望という封印が押されているのです。
①『マリヤは墓の外に立って泣いていた』(11節)と、愛する方を失い、悲しみに沈んでいる姿があります。
②『弟子たちはユダヤ人を恐れて』(19節)と、主の弟子でありながら、迫害を恐れている姿があります。死の恐怖のとりこになっている姿でもあります。
③『決して信じない』(25節)と、疑いと失望に落胆している姿があります。
トマトをはじめとする弟子たちは、『自分たちのおる所の戸をみなしめていると』とに象徴されているように、悲しみ・恐れ・疑い・失望に封印されていると、心を閉ざしてしまいます。復活の主イエスこそ、ご自身の方から近づかれて、悲しみの封印を取り除き、恐れの封印を解き、疑いと失望の封印を解き去られるのです。復活の主が与えられる新しい命は、信じ確信するところからくる主の平安と喜びをもって私どもを支配するのです。
主イエスに、心を閉ざすのではなく、心を開くものであれ!
Ⅱ.新しい使命に遣わされる 21〜23節
次に、復活の主は、弟子たちにこれからなすべき大切な使命を提供されました(21節)。それは、父なる神によって遣わされたイエス・キリストがこの地上において果たされた働きを、継承していくという使命です。それは、罪に死んでいたにもかかわらず、『息を吹きかけて』と聖霊によって主の新しい命を与えていただいたキリスト者によって受け継がれてきました(22節)。
具体的には、救いのわざを完成されたイエス・キリストを宣証し、神の息のかかった者を通して、キリストに代わって罪の赦しを明確に宣言する権威と特権が与えられているのです(23節)。それは、互いに罪を告白し合う恵みに至るのです(ヤコブ5章15〜16節)。
このように、新しい使命は、新しい命にふれるところから生まれるのです。その意味でも、互いに心を開くものであれ!
(説教者:川原崎晃牧師)