柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「十字架の吸引力」 ヨハネによる福音書19章23〜30節

 私たちは、主イエスの十字架についてあれこれ議論したり、学ぶことに留まらないで、十字架を仰ぎ見つづける中から、十字架の主の愛に引き付けられていくのです。そうした中から、キリストの愛に包み込まれていく経験をさせていだけます。その愛とは。


Ⅰ.執り成す愛  23〜27節

 十字架の周りには、ロ―マの兵士をはじめ、道行く人々、祭司長や学者たち、一緒に十字架にかけられた二人の犯罪人までもがイエスを嘲笑し、ののしりました。そうした中、十字架上のイエスは、その周りにいる人々に対して、執り成しのわざをされました。
 母マリヤと愛弟子ヨハネを新たに引き合わせるようにして、人間的な絆や血縁関係よりも、キリストを中心とする愛の交わりが新しい神の家族を造り出していくことを示されたのが、十字架上の第三言でした(26〜27節)。ここに、主イエスに従う者たちに対する最善の道を執り成されたキリストのお姿があります。
 当初、イエスをののしりはしたものの、神を畏れ、自らの真相に気づかされて心を入れかえ、主イエスに依り頼んだ犯罪人の一人に、励ましと希望を提供する執り成しの言葉をかけられたのが、十字架上の第二言です(ルカ23章43節)。主イエスは、かつては反抗し逆らったものの、その過ちを素直に認め、ご自身に立ち帰ろうとする者に対して、執り成し、救いの道を開かれるのです。
 さらに主イエスの執り成しは拡大されています。イエスをさんざんののしり、嘲笑しただけではなく、暴力をふるい、あげくの果てには十字架にまで追いやった人々に対して執り成されたのが、十字架上の第一言です(ルカ23章34節)。今なお罪を悔いることもなく、なお罪を重ね続ける者に対して、主イエスは救いの道が彼らにも何とか開かれるようにと切に願いながら、執り成しておられるのです。
 大切なことは、全ての人のために執り成しのわざを果たし続けておられる主イエス・キリストに連なることであり、その信仰のしるしとしてバプテスマを受けて、キリストに従うことです。


Ⅱ.購いの愛  28〜30節

 主イエスの十字架とそれに続く復活こそ、神の栄光が最も現されたことでした(12章23〜24節)。そのクライマックスが、ここに証言されています。
 第五言は、十字架の審きの厳しさを体で味わっておられる渇きでしたが、それは神に捨てられる者の厳しさを肉体に体験しておられる渇きでもありました(28節)。この渇きこそ、主イエスご自身が身代わりとなって命を捨てることによって、私どもの魂の渇きが癒されるという愛の吸引力となったのでした。それは、十字架の第四言の主の叫びのお姿でもあったのです。
 そして、十字架の第六言の『すべてが終わった(成し遂げられた)』と(30節)、神に満足していただける罪のための完全ないけにえが、今ささげ尽くされたのでした。『世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで(極みまで)愛し通された』(13章1節)との目的を達成させるために、愛し抜き、その愛を貫き通されたのが十字架でした。そして、『息をひきとられた(霊をお渡しになった)』(30節、ルカ23章46節)と、父なる神に委ねられたのでした。


 私どもは、主イエス・キリストの十字架の愛によって支えられ、新たに生かされているのです。この十字架の愛に引き寄せられて、この愛にあずかり、生きる方々が起こされますように!

                            (説教者:柏原教会牧師 川原崎 晃)