柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「もう一つのいのち」 ヨハネによる福音書17章3節

 多くの人々との交わりを通して、人は肉体的・生物的ないのち以上の、人生的・実存的ないのちがあることに気づかされます。聖書も、肉体上の地上の一時的ないのち(プシュケ−)と、人間を人間たらしめている本質的な永遠にかかわるいのち(ゾ−エ−)とに区別して表現しています。
 ここでは、神と共に永遠に生きる「もう一つのいのち」である「永遠のいのち」について語っています。


Ⅰ.「永遠のいのち」を持つ
 私たちの人生には、生まれることと死ぬことという必修科目があります。それは、誰も選択できません。そして、『唯一の、まことの神は』、永遠のいのちの道を選ぶか、死に至る道を選ぶかとの選択科目を一人ひとりに提示しておられます。
 ところで、聖書がいう「永遠のいのち」とは、普通考えられているような霊魂不滅のことではなく、生物的に死ぬことのない命に変えられることではなく、有限な命が無限なものに延長されるという時間的なことを言っているのではありません。質的に全く新しいいのちのことです。
 『永遠のいのちを持つ』(3章16節、新改訳聖書)とありますが、それは、神が与えてくださるいのちに生かされて、神と共に永遠に生きることです。それは、十字架に死んで復活されたキリストと共に生きることを拒むところの罪と、復活の主のいのちを持っていない死の状態から解き放たれて、罪の力に勝つ生活、日々に望みに満ちた新しさ、困難にもめげずに前進する力、最後の敵である死に対する勝利を与えられた者の強さが見られるいのちです。
 永遠のいのちに生きることが、天国を先取りし、この世においても真に生きることができるのです。


Ⅱ.「永遠のいのち」を体験する
 『永遠のいのちとは・・・知ることであります』とあるように、それは「男女が知り合う」といった人格と人格ある者同士の相互の信頼によって体得していくことを意味しています。それは、唯一の神とイエス・キリストご自身とそのみわざを信じるという人格的な応答によって生み出され、継続されていく信頼です。私たちは、信じるために知る必要があるとともに、知るために信じるという面があります。救い主イエスを信じて歩みだし、それによって信じて生きることの幸い、喜びを体験し、その結果キリストに対する感謝や信頼が深まっていくのです。
 さらに、永遠のいのちを持つことをさせていただけるのは、どこまでもキリストの十字架の犠牲のゆえであり、神の恵みのゆえです。決して、私たちの信仰の立派さや信仰の完全さゆえではありません。「こんな罪人を憐れんでください」と、神に愛されるにはとうていふさわしくない無力な自分を自覚している者が、驚きながら、おののきながら、しかも感謝して受け取る信仰です。そこには、今まで、神の救いに背を向けて自己中心な生き方をしてきたことを悔い改めて、キリストとの人格的な交わりに生きることを自分の意志でもって決断することが含まれています。
 今こそ、唯一の神とイエス・キリストを体験的に知る信仰を持たせていただくというチャンスではないでしょうか!

                            (柏原教会牧師 川原崎 晃)