柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「ア−メンに生きる」 マルコによる福音書9章14〜29節

 「ア−メン」との言葉には、本来「主を信じた」「主を信頼する」という意味があります。それは、自分の人生と将来を自分の願いにそって、また自分の力で操作するのではなく、神に決めていただこうと願って、思いきって神に信頼を置くことです。
 今週の聖書個所には、弟子たちの不信仰と、一人の父親の揺れ動く信仰が語られています。そこから、ア−メンを貫いて生きるとはどういうことか、を教えられます。


Ⅰ.神の全能への信頼  14〜27節
 弟子たちが大勢の群集に取り囲まれて律法学者たちと議論しています。それは、一人の幼子の重い病を癒せないでいた弟子たちの無力さに対してでした。このように苦しむ息子の姿を見るたびに絶望的な気持ちにさいなまれていた父親が、主イエスに訴えています。それに対して、彼らの不信仰を嘆き、『その子をわたしの所に連れてきなさい』と主イエスは招いておられます。父親は、『しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください』と嘆願しています。それに対して主イエスは、『もしできれば、と言うのか。信ずる者には、どんな事でもできる』と、問題は父親の側にあることを指摘しておられます。
 その時、父親は自分の不信仰に気づかされ、『信じます。不信仰なわたしをお助けください』と叫んでいます。それは、神がなされる全能を信じられないという、その私を助けてくださいとの叫びです。ここで、自分の不信仰を徹底的に自覚し、痛感したのです。
 私たちも、自分の不信仰を突かれないでは、全能の神を本当に信じ、信頼するということに立つことはできないのです。
 
Ⅱ.日々の主への信頼  28〜29節
 弟子たちは、以前とは違って(6章6〜13節)、自分たちが主イエスの権威をもって汚れた霊を制し、追い出すことができなかったことに、当惑と無力感を覚えていました。それに対して主イエスは、『祈りによらなければ』と指摘しておられます。祈りは全能の神の力を信頼し、神の力に全く依存することです。
 何事もそうですが、日々の継続と謙遜をもって神の助けと導きを求めることをしなければ、無力となるのです。私たちが、日々に主を信頼させていただく場があります。それは、主の十字架を絶えず仰いで、神のお約束を聴き続けることを、日々にさせていただくことです。
 水野源三さんの詩集「主にまかせよ汝が身を」に、次のような詩があります。
「贖い主なるイエスの十字架を仰いだならば、憎しみも怒りも消えゆき、御前に祈る静けさ戻りぬ。贖い主なるイエスの十字架を仰いだならば、不安も恐れも消えゆき、御手に依り頼む心戻りぬ。贖い主なるイエスの十字架を仰いだならば、悲しみも悩みも消えゆき、御許にある喜びが戻りぬ」
  主の十字架を仰ぎ続けるとき、「ア−メンの生涯が」備えられ、すでに「ア−メンに生きる」歩みをしていることに気づくのです。

                              (柏原教会牧師 川原崎 晃)