柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主の弟子となる」 マタイの福音書 4章18∼25節

 私たちは生きていると、不思議ですが持ち物が多くなってきます。特に不要なものが多く残り、整理する必要が出てきます。以前、古いカセットテープがあり、処分したことがあります。もったいないと思いましたが、利用できなくて捨てましたが、きれいになりました。

 それはまた、信仰生活においても当てはまると思います。

 この世の色々な人間関係や、役割において、あれもこれもと多忙になったり、逆に物事に振り回されたり精神的に疲れてしまうこともあります。

 私たちは今一度、何が大切なのか、何が重要なのか考えなければなりません。

 

1,大切なものは何か。

 イエス様の伝道はガリラヤから始まりました。何にもないへんぴな田舎です。そこに漁師たちがいました。イエス様は彼らに声をかけ「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」と言われたのです。

 魚をいっぱいとれる漁師ではなく、人間をとる漁師です。彼らは勘違いはしていなかったと思います。 純粋に人間が救われる。

 その働きを願ってイエス様について行ったと思います。

 余談になりますが、マタイは、馬太伝と漢字で書かれていました。ですから、昔町に来た農家の人が、露天の店先に並んでいる本を見て、てっきり馬の太らせ方だと思って買ったがそうではなかった。でも読んでいるうちにイエス・キリストのことがわかり救われたという話を聞いたことがあります。

 いずれにせよ、大切なものは何か。それは救われることです。イエス様の伝道は、「悔い改めよ、天の御国は近づいた。」と言うことでした。私たちに最も必要なのは永遠のいのちです。そして天国に入ることです。

 

2,一切のものを捨てる

 ペテロとアンデレは漁師でした。しかしイエス様の声を聞くと、すぐに網を捨てて従ったのです。その後にヤコブヨハネの兄弟も、イエス様が呼ばれると、すぐに舟と父親を残してイエス様に従ったのです。

 「すぐに」ということが大切です。おそらくそれは、どちらが大切か、よくよく考えてから従ったのではなく、ほぼ直感的に、彼らは捨てて従ったのです。

 特にヤコブヨハネは裕福な家庭であったと思われます。ガリラヤ湖の網元の家であったかもしれません。しかし、彼らもそうしたものを置いてイエス様に従って行ったのです。

 今年の正月に飛行機の衝突事故がありました。ニュース映像でも出ていましたが、CAさんが荷物を持たないで直ぐに脱出して下さいとアナウンスし乗客乗務員全員が無事だった。奇跡の脱出と言われましたが、もし、乗客が自分のバックやお土産を出して持って行こうとしていたらどうなっただろうかと思います。いのちほど大切なものは他にありません。

 

3,神様がすべてをなされる

 それではすべてを捨ててイエス様に従ったらどうなるのでしょうか。
「人間をとる漁師にしてあげよう」それはイエス様がなされることです。
自分がなるのではありません。イエス様に従い、すべてをおまかせするならイエス様がして下さるのです。

 事実、彼らはイエス様が十字架にかけられたときイエス様を裏切り逃げました。しかしイエス様の復活によって、彼らのすべての罪は赦され、その後人間をとる、たましいを救いに導く漁師にして下さったのです。それは人間の力でなるのではなく、神様がして下さる、神のわざです。

 イエス様は「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子ども、畑を捨てた者はみな、その百倍を受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。」 (マタイ19:29) と約束されています。

 日々の生活においても「まず神の国と神の儀を求めなさい。これらのものはすべて添えて与えられます。」「明日のことまで心配しなくてよいのです。」 (マタイ6:33,34) と言われます。

 私たちはキリストの弟子となりすべてを主に委ね、豊かに与えていただいて、喜びを持って従ってまいりましょう。

 

 

(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)