5月の末になりましたが、すでに30度を超える真夏日となっています。この暑い夏も乗り越えていきたいと思います。
先日、牧師の集まりがあり、話題は何であったかというと健康のことでした。高血圧や動脈硬化、トイレが近いと言う話です。私も自分の身体が衰えていくのを感じます。そして体の健康がどんなに大切かしみじみ分かる年齢となりました。
確かに人間はどんなに頑張っても肉体は弱っていきます。しかし問題は肉体よりも心です。心が強くなれば私たちは様々な困難や弱さに打ち勝つことが出来るのです。それが今日読んだ御言葉の中に記されています。またこれは私たちに与えられた約束です。
1,圧倒的勝利者
圧倒的勝利者とは何でしょうか。それは全てのものに打ち勝つ最高の勝利者です。いちばん分かりやすいのは、高校野球です。夏の全国大会で甲子園で優勝したチームは地方大会から一度も負けたことはないのです。敗者復活戦はありません。負けてしまえばそれで終わりです。ですから、優勝したチームは一度も負けなかった、圧倒的勝利者といえると思います。
でも私たちはどうでしょうか。一度も負けたことがないといえる人は一人もいないのではないかと思います。健康のためにダイエットしようと思っても、すぐ美味しいものに目が行ってしまいます。そして少しぐらいと思っても食べ過ぎてしまうのです。健康のために運動しないと行けない。今日はしんどいので明日からしようと思って、「今日がだめなら明日があるさ、明日がだめなら明明後日があるさ、何処まで行っても明日がある。」と歌ではありませんが、実行できない弱さがあるのです。そんな弱い私たちでも、聖書は何と圧倒的な勝利者となる、とはっきり約束しているのです。
2,私たちを愛して下さる方によって
それでは、自分の力で圧倒的勝利者となれるのか。なれないのです。私たちの力では不可能です。しかし、聖書は「私たちを愛して下さった方によって」とあります。私たちを愛す手下さる方とは誰か。イエス・キリストです。イエス・キリストは私たちが知る前から、私たちを愛して下さる方です。
キリストは2000年前にこの世に来られました。なぜ来られたのか。それは私たちを罪の滅びから救うためです。
はじめに神様によって造られたいのちを与えられたアダムとエバは神様を裏切りました。そして、罪を犯し、食べてはならない木の実を採って食べ、神様から隠れたのです。そして、エデンの園には住めなくなり去って行きました。それ以来、人間は苦しみを受ける者となりました。患難、苦しみ、飢え、裸、危険、剣 といったのはそのことです。様々の苦しみを受ける者となったのです。
それは、罪の故です。神に従わない、自分の思い通りのことをやる。アダム以来の罪の心が私たちの内にあるのです。それが死の最大の原因でした。その原因を取り除かない限り、私たちは永遠に生きられないのです。その罪を解決するためにキリストは来られました。
そして、私たちのすべての罪を身に負って身代わりとなり、十字架にかかって死んで下さったのです。それが、キリストの私たちに対する愛でした。その愛によって私たちの罪は取り除かれ、永遠のいのちが与えられ、勝利者となることが出来るのです。
イエス・キリストの十字架は私たちを愛するという大きなしるしです。その十字架によって、苦難の中にあっても私たちは圧倒的な勝利者となれるのです。
(宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)