柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「惜しみない愛」箴言11章24-25節

今年、教会は創立86周年を迎えます。神様は無から有を生み出される創造主であります。この地に教会が建てられたのも、神の創造のわざであることを覚えるものです。
具体的には、人を遣わされて救いの御言葉を伝えられるのが教会のわざです。神様の御心はすべての人が救われることであり、その伝道のわざをキリストの体である教会が担っているのです。昭和7年7月に大阪府の認証を宗教法人として受けました。これは幸いでした。なぜならその後、治安維持法の嫌疑があるとの事で十数カ所あった「慰めの家」はすべて行政当局によって閉鎖されたからです。辛うじて柏原教会は免れることができました。しかし、ホーア先生は特高警察の監視下におかれ軟禁状態となり、ついには昭和17年強制送還となったのです。 戦後、向後昇太郎先生が赴任され5人の信徒の人たちと共に柏原教会の再建が始まりました。大変困難でありましたが、教会には徐々に人々があつまり、続いて梅原貞治郎先生が遣わされ、この地にあった酒蔵を改造して礼拝がなされるようになりました。そして1981年この会堂が建てられたのです。神様は無から有を造られる。さらには、古い建物を壊し、新しい創造をなされる。私たちは建物だけではなく、自分自身が造り変えられることも信仰によって体験することができます(?コリント5:17)。


1,惜しみない愛

24節に「ばらまく」という言葉が出て来ますが、それはおしみなく与えることです。自分が報われることをまったく求めない、惜しみなく与えることです。その結果はどうなるのか。なお富む、とあります。非常に不思議なことです。この世では与えていけば持っているものはなくなると思います。それがこの世の常識であると思います。ところが聖書が私たちに示しているのは、なお富むと言っているのです。そんな事が果たしてあるだろうかと思います。しかし、それは現実にあるのです。柏原教会がそうなのです。
ホーア先生も、すべてを献げられました。いのちまでも献げて、57歳で召されました。しかし多くの実を日本で結んで下さいました。向後昇太郎先生も愛娘良子ちゃんを天に送りました。梅原貞治郎先生も幼子泉ちゃんを天に送られました。それでも伝道を続けられたのです。そこには惜しみない愛があったからできたのです。「神はそのひとり子を賜ったほどに世を愛された」と言う愛があったからできたのです。
それは、一人ふたりのことではありません。多くの方が惜しみなく献げました。一人の青年が自分たちで会堂を建てたいと牧師に話しました。「いくら持っているのか」と尋ねると、「100円です。でも、それでも人の力を借りて建てるのではなく自分たちに与えられた信仰を持って建てたい」、そんな話しをしたと牧師から言われたことを今でも思い出します。それは私にとっても大きな励ましでありました。
何よりも、神様ご自身が惜しみなく私たちに御子を与えて下さった。その愛により、私たちは新しく生まれた。信仰によって神の子とされた。神によるところの新しい生き方が与えられたのです。ホーア先生もクリスチャンホームに生まれましたが、クリスチャンではありませんでした。しかし、明確に自分の罪がわかった時、悔い改め、イエス・キリストの十字架によって自分の罪が赦され新しく生きることができたのです。それ故、自分の生涯をキリストに明け渡して、用いていただける者と変えられたのです。前述の青年も同じでした。あの長屋の教会に出席し、十字架の話しを聞いて涙を流して、罪を悔い改め、キリストによる新しい人生が与えられたのです。ですから、信仰によって教会を建てたいその願が起こされ、一人一人の献金によってこの会堂が建ったのです。


2,キリストの愛によって人を潤す

「人を潤すものは自分も潤される」とありますけれども、これも大切な聖書の原則です。神様はご存じです。そしてすべてを支配され、私たちの必要を満たして下さいます。
人は、自分のものを他人に与えることは損しているように思うのですが、しかし、それはちがうのです。なぜなら、神様は生きて働いておられます。神様は必ず報われます。愛によって豊にして下さいます。そして、人を潤すなら、神の愛によってますますその人は潤されて行くのです。それが、聖書に記されている信仰の原則なのです。


          (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)