柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「神の祝福」詩篇65篇9-13節

新しい年が始まりました。それぞれ期待や希望があると思います。何よりも真の神様は私たちに祝福を与えて下さる方です。特に11節は新年の祝福と言うことでよく開かれてきた御言葉です。


1,聖霊の満たし

9節以降には、地の産物の豊かさが歌われています。13節には、羊が牧草地を覆い、谷が穀物でいっぱいの様が賛美されています。そのように豊になれば、誰もが喜び歌うことだろうと思います。神様が与えて下さる祝福とは、私たちが心満たされて賛美にあふれ喜びに満たされることです。
それはどのようにしてなされるのでしょうか。それをなされるのは、万物を創造された神様です。10節に地のあぜみぞ、うねと言う言葉が出て来ますが、田んぼや畑のことです。?コリント3:9には神の畑という言葉があります。言うなれば私たち自身が、神の畑であり、神様は農夫であり、私たちに豊かな実りをもたらして下さる方です。ヨハネの15章には、真のぶどうの樹―イエス様と私たちそして、農夫である父なる神様が描かれています。
作物が生長するために必要なものは水です。神様は水を注いで下さる。あぜみぞも水で満ちるほどに豊に与えて下さる。それによって穀物は生長するのです。ここで語られているのは、象徴的なものです。水とはなにか、御聖霊です。神様は御聖霊を豊に与えてくださることによって、私たちは豊かに実を結ぶことができるのです。それは魂の実りです。心の豊かさです。私たちに愛があるとか、親切、寛容と言ったことは、自分で修行して得られるよりはむしろ、聖霊によって私たちのうちに豊に与えられることです。それが神の恵みです。与えられる資格も価値もない、そのような者に与えられるのが神の恵みです。しかも、神様は少ししか与えられないような方ではありません。大いに豊に与えて下さる方です。
しかもその水は限りはありません。無限にあるのです。「神の川は水で満ちています」とは、天において聖霊が満ちあふれ、そして地上に豊に降り注がれる様を現しています。うねをならしとありますが、私たちの心もかたくなでは豊に実らすことはできません。うねは鍬を入れてならされなければならないのです。そして、夕立で地を柔らかにし、とは聖霊が臨まれて魂を潤されることです。私たちの心も御聖霊により、慰め励まし癒やしが必要なのです。
エス様はこの地上に来られて、多くの人を癒やされました。そして、慰めを与えられました。今は天上にあって私たちのために祈っておられますが、その代わりに御聖霊は私たちを慰め癒やし、力を与えられるのです。油が滴っているとはそのことの象徴です。


2,聖霊による喜び

そして、聖霊が働かれると姿は変わります。荒野、丘、牧草地、谷とありますが、イスラエルの地は豊ではありません。むしろ自然の厳しい荒涼とした砂漠です。そんなところに神様は臨まれ、聖霊の水を注がれ油が滴り、そこは喜び、羊の群、穀物の覆いと、驚くべき豊かさ、祝福が与えられるのです。なんたる幸いでしょうか。神様は私たちを変えて下さいます。それ自身は何の変哲もないただの者ですが、聖霊が注がれると、私たちの心は柔らかくなり、実は生長して大きくなり、豊に実を結ばせ、私たちは賛美と喜びに心は満たされるのです。


           (宣教者:柏原教会牧師 西本耕一)