柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「人生航路」詩篇107篇23-32節

本日は、召天者合同記念礼拝ということで、召天者の写真を飾っていただきました。イエス・キリストを信じて地上の生涯を終えられた方は、今、天において真の神様を礼拝されておられます。召天者記念礼拝は、いわば地上の礼拝と天上の礼拝を繋ぐようなものです。真の神様をそれぞれの所から共に礼拝し、信仰による繋がりを持たせていただいているのです。


1,人生の航海

よく、私たちの人生は航海にたとえられます。港から出港し、そして目的の港に着くのです。私たちはこの世に生を受け、果たしてどこを目指して行くのでしょうか。それは天国です。天国こそが私たちの行くべき港です。
多くの人は人生の大海に向かって進んでいきます。希望を持ち、また豊かさを求めて前進していくのです。「大海であきないをする者」とありますが、誰しもが自分の利益になることを求めます。ただし、それが全て成功するとは限りません。人生の航海は、ただ儲ければそれで満足かといえばそうではないのです。人生の目的は金儲けだけではないと思います。ソロモンという王様は、知恵と力と富を得ましたが、自分の心の満足を得ることはできませんでした。ですから彼は「空の空、一切は空である」とこの世の人生の空しさを語ったのです。それでは一体何が私たちの人生を満たしてくれるのでしょうか。何によって私たちの心は満足できるでしょうか。それが出来るのは主なる神様です。24節には「主のみわざを見」とありますが、主とは万物の創造主、真の神のことです。私たちは神によって造られた者であり、自らを満たすことは出来ません。私たちは主なる神によってのみ、心が満たされることが出来るのです。主の御業とは、まさに創造主が私たちの心を満たすことです。創造主こそが、本当に満足を与えて下さる方であるということが解るのです。


2,苦しみからの救い

航海の中で大変なことは、嵐に遭遇することです。ユダヤの国は地中海に面していました。地中海では時々、嵐が起こることがあります。ユーラクロンと呼ばれる激しい嵐です。それで船が難破し破船するのです。いくら、金銀財宝を積むことが出来ても、途中で沈んでしまったら何にもならないのです。
私たちも人生の破船に会うことがあります。順風満帆の人生も、突然に破壊されてしまう。どうしてこんなことが起こるのかと、途方に暮れることもあるのです。そんな時、何が一体、助けでしょうか。誰が私たちを苦しみから救ってくれるのでしょうか。そして最大の苦しみは何でしょうか。それは死です。私たちの肉体も魂も滅ぼしてしまう、死ほど恐ろしいものはありません。だれが救ってくれるのでしょうか。
私たちを救って下さるのは、唯一イエス・キリストだけです。なぜなら、キリストは私たちの罪を背負い、私たちの身代わりとなって十字架に死んで下さったのです。十字架には罪を赦し、私たちの魂を罪の悩みから救う力があるのです。
私たちは心が苦しくなったらどうでしょう。苦しみ、うめくと思います。また、悩み苦しみ、その怒りが頂点に達したらどうでしょうか。叫ぶかもしれません。そして、悪を行うことがあるのではないでしょうか。いらだち、人に八つ当たりをする、自分自身をも傷つける。それが、罪の悩みの姿です。だれがそんな惨めな自分を救ってくれるのでしょうか。イエス・キリストだけです。十字架によらなければ私たちの罪の悩みは解消されません。苦しみのときには、主に向かって叫ばなければなりません。小さな声で言ってもだめです。助けてくれと叫ぶのです。私には103才になる祖母がいますが、畑仕事に行って溝にはまり、動けなくなってしまったそうです。何時間もそこにたたずんでいました。そして人の通る気配がして、思いっきり叫んだそうです。するとすぐに来てくれ助かったそうです。救われるためには叫ばなければなりません。祈りとは、魂の助けを求める叫びです。なぜなら、罪の報いは永遠の滅びです。地獄に行ってしまいます。ですから、私たちはキリストの十字架のゆるしを心から、叫び求めなければならないのです。主に向かって叫ぶと、主は必ず苦悩から救い出して下さいます。


3,港に導かれる

私たちの心の内にある波風、嵐を静められるのは誰でしょうか。イエス・キリストです。あのガリラヤ湖で、マルコ4章と6章で、嵐や風を静められるキリストの姿があります。「我なり、恐るな」今も私たちの心の中で復活のキリストはご自身を現され、私たちの恐れを静められるのです。
そしてこの方が私たちを希望の港、すなわち天国に導いて下さる方なのです。私たちに人生の苦しみはないでしょうか。心が嵐のようになっていないでしょうか。キリストによって静められ、私たちは主に感謝し、主をあがめる者とさせていただきましょう。


            (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)