柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「主を告げ知らせる」詩篇71篇15-20節

今日は敬老祝福礼拝の日です。老人を敬うことは人間社会においても大切なことです。誰しもが老いて、自分の弱さを経験することがあります。その時に助けが与えるなら何と幸いなことだろうかと思います。
この詩篇71篇を、ある人は人生の春夏秋冬がうたわれていると言いましたが、人生の終わりに向かってもなお素晴らしいものを神様は与えてくださることが解ります。


1,神様の素晴らしい救い

この箇所で、繰り返し出てくる言葉があります。一つは、「あなたの義」です。15,16,19節にあります。あなたの義とは何でしょうか。あなたとは、神様ご自身のことです。父なる神であり、万物の創造者です。その神の義とは何でしょうか。その前に私たちの義とはどういうものでしょうか。義とは、正しいと言うことです。私は正しい、正直者だ、嘘はつかない。それが、人としての正しさ、義ではないかと思います。しかし、実際はどうでしょうか。私は一度も嘘をついたことはない、と言えるでしょうか。おそらく誰もいないと思います。とすれば、私たちは正しくはない、義ではないと言うことです。そのような人は、天国に入る資格があるのでしょうか。入れないのです。実はそのために、私たちには、神の義、すなわちここにある「あなたの義」が必要なのです。私たちの義をもっては、天国には入れない、だから神の義が必要です。神の義とは何か、神は正しい方であって、間違ったことはなさらない。絶対にこの方は正しい。間違いはない、信頼できるという義なのです。完全な正義です。そして、それと共にもう一つ繰り返されて出てくる言葉があります。「わざ」という言葉です。16,17,18節に出て来ます。大能のわざ、奇しいわざ、とあります。一体それは何を指すのでしょうか。神のわざ、それは15節の「あなたの救い」と関係があります。一言で言うなら、キリストによる救いです。私たちは、罪を犯しました。天国には入れる資格は100%ありません。しかし、もし私たちの罪が赦されるとしたらどうでしょうか。自分の犯してきた今までの全ての罪が赦される。そうするなら、天国には入れるのです。でも、自分で自分の罪を許せますか、できません。人間は愚かで弱く、また罪を犯してしまうのです。そして、悩み苦しむのです。誰が救うことができるでしょうか。そのような私たちのために、父なる神は救い主キリストを私たちに遣わされました。罪の悩みから救うためです。そのために、キリストは私たちの身代わりとなって、私たちの罪の責任を負って下さったのです。その責任とは、十字架にかかって代わりに死ぬと言うことです。このことに拠り、罪が赦される、それが大能のわざです。そして、詩篇の記者は、神を崇め賛美しているのです(14節)。それだけではありません。彼は告げ知らせています。語っているのです。それが、彼の神に対する最大の奉仕でした。告げるという言葉も3回出ています(15,17,18節)。特に、18節では、次の世代、後に来る者に告げることが出ています。ですから、老人も黙っていて言いと言うことではありません。告げ知らせなければならない、キリストによって、罪が赦され、義と認められることを証しなければならないのです。それは自分の力でできるでしょうか。聖霊の力が必要です。聖霊が働いて下さらなければできないことです。


2,復活の希望

そして、大事なことは、人生はこの世で終わらない、死んで後裁きがあり、永遠が定められます。私たちは天国か地獄で永遠を過ごさなければならないのです。もしキリストを信じないなら天国に行けません。しかし、私たちが罪赦され天国に入る資格として復活のいのち永遠のいのちがあると言うことです。
再び生き返らせと19節にありますが、何度も何度も生き返らされたという意味があります。どんな苦難の中でも、絶望の中からでも、死からでさえも生き返らせて下さる。よみがえらせて下さる。その確信と、喜びがこの詩篇の記者にあったと言うことです。その故に彼は神をほめたたえ、「告げましょう。告げ知らせています。告げ知らせます」とはっきり証しているのです。
願わくは私たちにも、キリストの十字架による神の赦し、復活のいのちをいただいて、神の救いを告げ知らせるものとならせて頂きましょう。


           (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)