柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「未来に備えて」1テモテ6章17-19節

教会の暦で6月第二の日曜日は花の日・子どもの日です。起源は1856年、アメリカのマサチューセッツの教会の牧師が、子ども中心の集会を行ったのがはじまりだそうです。その後、6月第二日曜日を「子どもの日」として教会行事となり、この日を子どもたちの信仰を励ます日としたそうです。
この日は私たちにとっても、伝道のチャンスです。花を持って信仰の読み物をプレゼントし、神様の愛と恵みを分かち合うことは良い伝道の機会です。
私たちのいのちはこの世だけのものではありません。聖書は私たちに、やがて神の前に立ち裁かれるときが来ることを知らしています。そして、そのところで私たちの永遠が定められるのです(ヘブル9:27)。
この手紙はエペソで伝道しているテモテに書き送られました。エペソは小アジアの西海岸に位置しアジア州の州都として栄えました。当然裕福な人たちも多く、その中から救われる人たちもあったでしょう。この箇所では特に裕福な人たちに語られています。


1,富に望みをおかないで神に望みをおく

確かにお金は便利なものです。お金があれば何でも買えます。しかしそれが、一つの大きなサタンのワナとなります。それは高ぶる心が出てくるのです。高ぶらないようにと17節に言われていることはそのことのためです。神様は高ぶるものを退けられます。高慢になることほど、恐ろしい心の罪は他にはないだろうと思います。私たちも気をつけなければなりません。
神様は、また私たちに高慢にならないようにと釘を刺されることがあります。パウロもそうでした。目の病があり、癒されませんでした。それには神様の目的がありました。それは、主の恵みが十分であることを知るためでした。私たちもそれぞれ、トゲがあるでしょう。それによって、私たちはへりくだらせられ神の前に祈るものとなります。そしてそれによって、ますます神の恵みに豊かなものになれるのです。代々の聖徒はその恵みによって強められ、また神様が崇められたのです。私たちも更に謙遜なものとなり、キリストが崇められるものとさせていただきたいと思います。


2,喜んで分け与える

本当の豊かさとは何か、それは喜んで分かち与えることができることです。新約聖書使徒の働きには、イエス・キリストを信じ救われたクリスチャンたちが持ち物を共有し、互いに助け合っている姿が描かれています。それ以来キリストの愛を基として愛の御業がこの世に継続的になされています。私たちもまた、キリストの愛に心が満たされて惜しむことなく喜んで分かち与えることができるものとなりたいものです。


3,真のいのちを得る

私たちにとって命ほど大切なものはありません。肉体の命ではなく魂の命永遠のいのちを与えて下さるのは神様です。たとえ全世界を手に入れても、自分のいのちを失ってしまってはまったく意味がありません。
私たちはまず、いのちの大切さを考え、永遠のいのちが自分にあることを確信するものでありたいと思います。このいのちが与えられているなら、死を恐れることはありません。むしろ大胆に力を発揮することができます。このいのちがあるなら、私たちは何ものをも恐れず、生き生きと自分のあるがままを感謝して生きることができるようになるのです。たとえ弱さがあっても、それを気にしない、与えられたいのちを感謝して生きる。それがやがて、永遠に繋がっていきます。自分はイエス様の十字架によって、失敗は赦された、新しいいのちに今生かされている。その信仰を人生の土台とさせていただいて未来に生きるものとさせていただきましょう。


          (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)