柏原教会 今週の礼拝メッセージ(要旨)

日本イエス・キリスト教団 柏原教会の礼拝メッセージ要旨

「生ける望み」1ペテロ1章3-5節

この手紙は、イエス・キリストの一番弟子であったペテロから、小アジア(トルコ)に住んでいるクリスチャンたちに宛てて書かれた手紙であると言われています。彼自身ローマにあって迫害を受けネロが皇帝のときに殉教したのですが、それでも多くの人たちを励まし、この手紙を通して人々に力が与えられたのです。


1,神をほめたたえる

彼はまず、主なる神をほめたたえました。なぜなら、彼自身が救われたことは、神の憐れみであったからです。彼はガリラヤ生まれの漁師でした。特別な才能もまた、力もなかったでしょう。神様の憐れみがなければ彼は救われませんでした。
しかも、それだけではなく、彼はキリストの弟子として生活を共にし、様々な奇跡を見てきました。しかし、彼は自らの弱さの故に、最後は離れて行ってしまったのです。そんな彼のためにも、イエス様はゲツセマネの園で信仰がなくならないように祈られたのです。そして、彼は自らの弱さを認め、悔い改めて救い主キリストに立ち返ったのです。その後、彼は多くの人々を慰め励まし、ついにはキリストの栄光を現すべく、殉教したのです。
ですから彼は、神の憐れみを深く感謝し、まず神をほめたたえたのです。その感謝と喜びは、キリストの復活に基づくものです。この世にも、人間の情けや愛情があります。しかし、それは絶対的なものではないのです。私たちは自分の好きな人、よくしてくれる人は愛せます。また、自分より劣っている人には、情けをかけることができます。でも、自分が嫌いだという人を愛せるでしょうか。自分より優れていると思われる人に、憐れみをかけることができるでしょうか。人間の力ではできません。しかし、死からよみがえり、私たちの心の中に、キリストが生きて下さるなら、それは可能です。ペテロが信じたのは、死んだキリストではなく、死からよみがえられた復活のキリストなのです。
その信仰の故に、裏切り者であり、隠れて生きていた彼が大胆にイエス・キリストの救いを語るものになりました。彼は「新しく生まれさせて」と言っていますが、神により新しいものになることができるのです。それが具体的に現されたことは、彼がローマで殉教したことです。かつて彼は自分の命を惜しんで裏切り、逃げてしまいましたが、悔い改めたペテロに神様は素晴らしいものを与えられたのです。何を彼は持つことができたのでしょうか。


2,生ける望み

神様は、「生ける望み」を持つようにして下さった、とペテロは証ししています。この世では、多くの人が豊かになりたいと願っています。ここには「資産」という言葉が出て来ますが、土地や建物、相続財産という意味があります。しかし、この世のものは永遠に自分のものとすることができるでしょうか。残念ながら、できないのです。死んだときいっしょに天国へ持って行くことはできないのです。
エス様は「自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。」(ルカ 12:33)と言われました。この世でいくら財産を築いたとしても失ってしまうのです。
しかし、神様はすべての必要を満たして下さる方です。天においても、朽ちることも汚れることも消えることもない資産を私たちのために備えて下さっています。私たちにはさらに大切なものがあります。
それは永遠のいのちです。「終わりのときに…に用意されている救い」すなわち、永遠のいのちを今受けることです。ペテロにもそれがありました。彼は死を恐れませんでした。ですから、ネロの迫害のときにも、弟子たちの勧めでアッピア街道を下っていく中に、イエス様にお会いしました。そして、ローマに引き返したのです。彼は自分のいのちを惜しみなく神様に捧げ、栄光を現したのです。


         (宣教者: 柏原教会牧師  西本耕一)